<2022-8-28プチ労135回まとめ>
参加者:6人 中高年:青年=3:3 地域:それ以外=4:2
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「近現代日本150年の労働者・民衆の闘いの歴史」第45回
第四章 日中戦争から敗戦(1937年~1945年)~昭和天皇の戦争
「草稿」第四章(2)中国民衆の抗日闘争への敗北(第七回)
第四節 民衆の経済・通貨戦争 ①~③(「草稿」60頁~72頁)
レポーターGO(しょうごさん代役)
今回は、持久戦となった日中戦争で、軍事より重要になった経済(生産、貿易・流通)、経済を回す通貨政策の面で、日本が、民衆との「イタチごっこ(追いかけても追いかけてもつかまらない)」に敗北し、1941年12月、アジア太平洋戦争に突入せざるを得なかった様を見た。
いわゆる「太平洋戦争」は、アメリカに敗けたといわれるが、実態は中国民衆に敗北して東南アジア侵略をせざるを得なかった、まさにアジア太平洋戦争だった。
その契機は、経済の生産、貿易・流通、通貨の各局面で、具体的に以下のとおりいくつもあった。
●生産〜上海の紡績事業者、労働者の抵抗
日本が南京に続いて首都になった武漢を1938年10月陥落させ、国民政府は工場を長江(地図Ⅰ黒太線)上流の西北部に人力で移転させ、移転しきれなかった経済の中心部上海の多数の工場群は国際租界、香港で操業、抵抗を続けた。
⇒日本の中国侵略の目的だった工業製品拡大、特に、日本資本主義の中心製品である紡績について、上海資本・労働者との競争になり、結局、過剰生産となって生産を縮小した。
これが、アジア太平洋戦争開始直後に上海国際租界と香港占領の動機のひとつとなった。
●貿易・流通~まさに「イタチごっこ」
・武漢陥落後、流通の大動脈ユエハン線(武漢~広州~香港:地図Ⅱ)が止まったが、華中の流通はチョーカン線(長沙~南昌~杭州~寧波~温州~厦門~スウトウ)に変えて継続。
・その2か月後、西南端雲南省からビルマへの難関陸路の流通路「ビルマルート(昆明~ラモウ~ラーショー:地図Ⅰ)」が15万人の動員と東南アジア華僑の支援で開通。
⇒日本はこれを壊滅するために、1941年12月ビルマ侵略し、それでもインドを拠点とした同ルートの流通が絶えないために、さらに、1944年、最悪のインパール作戦を「インド解放」を名目に、実質「インド・ビルマルート」壊滅のために実施した。(地図Ⅰ)
・もうひとつの鉄道流通路「仏印ルート(ハイフォン~ハノイ~南寧・昆明~重慶:地図Ⅰ)を壊滅するために、1939年2月、日本は、近隣の海南島を占領し空爆したが効果がないため、1940年9月北部仏印進駐。
⇒これが、まさにアジア太平洋戦争の戻れない引き金となった。
●通貨~ウクライナ占領地でもロシアがすぐさまルーブルを流通
・「満州国」で弱小軍閥発行の通貨に対して円(軍票ではない円建て銀行券。円とのみリンクしその他外貨との交換性なし)流通を「成功」させ、円の流通が物資争奪の鍵とした日本は、華北占領とともに、1938年3月、北平に傀儡銀行を設立し、円を発行し元を回収し始めた。
しかし、その10日後、抗日根拠地側は、チンチャーチ辺区(地図Ⅱ③)に移動式の独自銀行を設立し対抗し、その後も各根拠地に次々銀行を設立。
その結果、1年経っても日本が回収できた元は流通量の6%、2千万元だけで、逆に根拠地銀行の元発行量は数倍にのぼり、通貨の支配は挫折。
さらに、日本は、それとともに行われた物資争奪戦でも敗北した。
市価より安く買おうとする日本に対して根拠地側は、商人・農民の利益に配慮し、また、子どもたちを含めた民衆が総出で物資の移動を監視して勝利した。
⇒この過程で、日本は、元の流通を支援するイギリスの銀行のある天津国際租界を1939年7月閉鎖したが、これを見たアメリカが、その4日後、日米通商条約破棄を通告し、アジア太平洋戦争の条約上の契機となった。
・日本が侵略する直前の1935年に国民政府が通貨統合をし、中国経済の中心、上海のある華中では、まったく円は歯が立たず、結果として物資争奪戦でも、日本は日中戦争を通じて、食糧出回り量の1~2割しか獲得できなかった。
⇒結局、日本は、元流通を支援する上海の外国銀行群を、1941年12月、アジア太平洋戦争開始と同時に武力で接収するしかなかった。
以上、下に添付した中国地図で説明したが、戦争は、軍事よりも、生産して、必死に物資を運び、生き抜こうとする紡績や鉄道の労働者、農民、商人、など民衆のパワーに敗北した様が見えてきたと思う。
Talk
YS:侵略と占領とは違うんだなあ。
N:でも、中国民衆はどうしてこんなに頑張れたんだろう?
GO:たしかに、万が一、日本が「安定した生活を保障する占領」を実現できていたら違ったかもしれないが、そんなはずもなく、この後見るように大量の難民が発生するなかで、武器を持つ以前に、まずは、生きぬくために頑張らざるを得なかった。
それと、前に抗日根拠地で見たように、軍事以前に「民主」創りを時間かかりながらもしていったこととが、相まって行ったんじゃないか。
Mg:ほんと、そういう中国、民衆に勝てるなんて無理。
MK:中国地図をあらためて見ると、今問題になっている台湾って中国にほんと近いと思う。
YS:そう、中国側から見ると、台湾を挟んで沖縄からフィリピンにかけて、日米が軍事演習するなんて、ほんと出口をふさがれた観がある。
次回9月25日プチ労136回は、あまり知られていないが、もうひとつの重要な民衆の経済戦争として、世界の民衆の支援があった工業合作社運動を見る。
地図Ⅰ
地図Ⅱ
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