プチ労133回
<2022-6-26プチ労133回まとめ>
参加者:7人 中高年:青年=4:3 地域:それ以外=4:3
メニュー:キーマカリー&じゃがいもザブジ
それから会社の後輩から差し入れ、ほんとに旬の山形寒河江さくらんぼ♪
「近現代日本150年の労働者・民衆の闘いの歴史」第43回
第四章 日中戦争から敗戦(1937年~1945年)~昭和天皇の戦争
新「草稿」(2)中国民衆の抗日闘争への敗北(第五回)
第三節 抗日民族統一戦線の中心地武漢(ウーハン)
①
対日放送の長谷川テルと「家父長制」(「草稿」4(2)34~48頁)
レポーターゆいちゃん
日中戦争の最中、南京大虐殺の後、南京から移された首都、武漢から日本語で反戦放送を続ける日本人女性長谷川テルがいた。
テルを武漢へ導いたのは、亡国のポーランドで生まれたすべての民族の自立を謳うエスペラントとの出会いと、侵略して自らは変わろうとしない日本の男たちの「家父長制」に反発する女性の自立への意識だった。
その彼女を支えたのは、エスペラントの学友で生涯をともにした劉仁(リューレン)をはじめ、作家魯迅(ルーシュン)など、「自身の運命を自身の力で切り開く過程そのもの」である中国革命の一環として、女性の尊厳を踏みにじる旧習から自立し、女性とともに「民主」を勝ち取っていこうとした中国の男たちの葛藤と苦闘だった。
それが、「この放送をすれば二度と日本へは帰れないという厳しい選択」をし、日本で「売国奴」といわれた彼女をして、後に「なんと興奮した活発な時期だったろう」、「私は中日両国人民の娘です。」と言わせ、「民主」を創る中国民衆の一人になった。
以上の「草稿」の趣旨をテンポよく説明してくれたレポーターの感想。
「テルは、エスペラント語を学び女性運動に関わり、そして戦争への反対と時代を反映した人生を送った。
テルがエスペラントに惹かれたのは、「左翼運動?感じの悪いことです」と言っていたように、左翼運動のエリート主義への反発、その背後にある男性優位の社会への反発があったから。」
そして、彼女は、当時の「感じの悪い左翼運動」に重なるものとして、現代日本の「リベラル」のウクライナ戦争の認識をとりあげ、トークになった。
それは、大国間や資本の利害の「分析」に終始するのでなく、今も続くチェチェン民衆を含め、戦争と民衆の虐殺の事態をもっと見据えるべきということだったと思う。
男性である「草稿」筆者が女性の自立をさらにどう捉え、ともにどうするのか、一方、我々、民衆が、さらに反戦をどう互いに響かせ合いながらどう止めるのか、問われ続けていると思った。
当時の中国民衆の「民主」創りの営為からもさらに攫っていきたい。
Talk
Reporter YY:今、日本の「リベラル」は、ウクライナの事態は、NATOとアメリカがロシアを追い詰めたからだということが大勢になっていて、ロシアがチェチェンで何をしてきたか、今も何をしているか、問題にされていない。迷走している感じだ。
N:ただ、戦争は誰がもうかるかが根本だと思う。民衆はいつもその犠牲になる。
YY:たしかに、もうける会社とかいろんなところにでてくる。でも、それだけじゃないと思う。
N:民族?
Mg:ある人が言っていた。
誰がもうかるか、領土や利権は「火」で、民族や宗教は「油」。
N:ただ、我々が戦争を止めるのは、日本でどう止めるのか、何をするのかだと思う。
UY:ロシアが問題でも、ロシアの人々をヘイトすることではない。
GO:ロシアという国家の問題をもっと見据える必要はある。
YY:ロシアは共産主義だったということで情報統制もすごい。
Mg:ロシアには反戦の人もいるが、情報統制でもなく、この戦争に賛成と言う人も多いといわれる。
GO:今、日本でも、自民党の「軍事費増強」に対して、「いいんじゃない」という人が7割という世論調査もある。そこにどう響く反戦運動をつくれるか。
GO:ところで、テル自体について。
YY:結局、出会った劉仁という男性についていった女性か。
GO:当時、そのこと自体大変な事だった。しかし、たしかに、彼女の人生が感動的である一方、あまり女性として英雄視するなという声もある。
それは、彼女が中国革命のなかでは生き生きとしたが、日本では闘えなかったということでもある。
自分も含めて、今も日本の男がどこまで変わろうとしているか問われていると思う。
After Comment
SE:私は歴史をほんと知らないのだが、すごい人がいたんだと思った。
当時、中国人と結婚すること自体大変なことだったと思うが、自分の意志を貫いて一緒に中国に行ってすごい。
そして、もう少し長生きしてほしかった。
相手の中国人が「女はさがっていろ」という日本の男性とはちがっていたんだと思う。
同志を求めていたんだと思う。
炭鉱労働者の闘争で、父親とともに「闘士」だったが早逝した母親と重なる気がする。
争議に敗けた後、ひどい目にもあったので自分の胸に長く仕舞っていたが、最近ようやく、親の闘いのことを何らか残そうと思うようになった。
次回7月31日プチ労134回は、テルと同じ武漢に集まった中国人ジャーナリストの一人、鄒韜奮(ツオウタオフエン)が、自分の認識をどう変化させながら、自分を含めた民衆をどう捉え、生活書店の展開というユニークな運動も含め、抗日、すなわち「民主」の意識創りの闘争をどう広げていったか。
レポーターけんいちさん。
以上
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