プチ労126回
<2021-9-26プチ労126まとめ>
参加者:7人 中高年:青年=3:4 地域:それ以外=4:3
メニュー:久しぶり!チャナ豆・キーマカリー&大根サラダ 完食!
「近現代日本150年の労働者・民衆の闘いの歴史」第36回
新章:第四章 日中戦争から敗戦(1937年~1945年)~昭和天皇の戦争
(1)1937年 日中戦争~昭和天皇の「勇気」
レポーターむぎたさん
第二節 日中戦争-アジア太平洋戦争の原因
a.
天皇制というシステムの戦争と抵抗 ⑤
農村図書館の浪江虔と「京浜労働者グループ」(後半)
「名もなき青年たちの抵抗」の後半、敗戦後編。
浪江虔は、農村図書館を開いたものの「完全転向」した挫折があったが、敗戦後、彼が期待した農民自身の「部落文庫」が生まれた。
そして彼自身が「民衆のことば」で「農民にわかる」本づくりに邁進する中で、「地域文庫」運動が全国的に花開き、1960-70年代、公共図書館建設から住民「自治」の運動に発展した。
一方、「人民戦線の実践」に邁進した山代巴は、多くの仲間を失い戦争を止められなかった挫折を越えて、敗戦後、戦争に従軍し虐殺した広島の男たちの「三つの根性(抜け駆け・見てくれ・あきらめ)=ギギ風」とそれを支えた女たちの「忍従」をはねのけることを自らの生涯の課題とし、「根性」と「忍従」を「抑圧された者の自己防衛」として小説に執拗に優しく描き出した。
そして、広島の多くの青年・労働者とともに、1950年代前半に、被ばく者自身が「自分の言葉」で語ってもらうことを通じて、その後の原水禁運動の「礎石」となる原爆被爆者運動、すなわち被ばく者の「自治」を立ち上げていった。
虔と巴に関する本を図書館で借りまくってまとめたレポートは、彼らの実践を生き生きと伝えながら圧巻だった。
題名は「地べたからの自治と革命~挫折と忍従を超えて~」(後添付参照)
そして出した論点みっつ。
論点 1.『民衆のことば』と『アカデミックなことば』
・1950 年、虔と巴の対話 「民衆のことばを語れ」
・コロナ禍にはびこる「専門家」の言葉
・有権者に響かないエリート「リベラル派」の「正しい言葉」
論点 2.『ギギ風』『三つの根性』を乗り越える。
・南多摩農村図書館の一室で巴が書いた『いたどりの茂るまで』
・抑圧されたものの自己防衛。今、コロナ禍の相互監視社会に吹くギギ風。
・ギギ風を乗り越える「地を這い生きる人々」の尊厳の解放。
論点 3.『自治』と『革命』
・革命は革命によって崩される?本当の革命とは。
・自治を実践する「人」と「場」を残していくことの大切さ
Report & Talk
UY:農村図書館をつくっただけで何だろうと思ったけど、すごいね。「自治」なんだね。
Reporter Mg:そう。浪江虔も「治安維持を最優先する国家が軽視または無視するに決まっている勤労大衆の生活と文化の分野で活動を積み重ねていく道を選んだ」と言っているが、力対力でなく、スキマで地道に。高円寺の「素人の乱」もコミュニティをつくろうとしている。それを作家の雨宮処凛も「革命後の社会を先につくるもの」と言っていた。
生存、自然、文化、表現といった「民衆が自治を実践できる土台づくり」に虔は力を注いだ。
GO:山代巴たちも被ばく者自身が「語る」ことを地道に引き出していった。
ほんと、原水禁運動の前に、その前提としてこういう運動の積み上げがあった。
今、福島で、保養交流運動でやっているのも、「自ら語る」ことだと思う。
Mg:巴の短編『いたどりの茂るまで』を読んだがすごい。
踏みつけられた農民のなかに生命の輝きがある。そして、民衆は権力とたえず騙し合いをする。コロナ禍の相互監視社会も「ギギ風」だが、そのなかで立石でも「ヤミ営業」をたくましくしているところもある。その辺に「ギギ風」を乗り越えるカギがある。
そういう「地べたの人々の抑圧を解き放つことば」をしっかり聞き取ることが必要。
「原爆に生きてー原爆被害者の手記」をやっと出した時に、巴が序文に「我々はまだ、彼らにとって、真実を訴えられるほどの資格がないのです」と書いたが、それでも、忍従を強いられた人々の言葉を「弱いまま」記録し、伝えた巴たちの「この一歩」は、被爆者に喜びと自信を与え、運動の礎となった。
N:民衆が自ら語る、「民衆のことば」という点で、中野重治が民衆のためにつくったという「文芸学校」は今どう?
MK:たしかに「文芸学校」は、「字を書けない人に文学を」ということで始まった。今、自分が講師をしているクラスでは女性が増えた。わりと男性は「小説家になりたい」という「承認」の欲求で来ている人が多いが、女性は、コロナ禍のなかで、自分って何か見つめたい、自分について何か残したいと言う人が多い。
N:自分も「自分史」を書こうかなと最近思う。途中まで書いたが、あらためてプチ労でやっている全体の歴史のなかで自分史がどうなのか考えながら書くのはどうかなと。
GO:先ごろ亡くなった民衆史の色川大吉によれば、敗戦後、1970年代まで、全国各地で民衆が自主的に「自分で語り書く」運動が続いた。
そして、彼は「民衆が真に自分たちの社会の主人公になるためには、新たな質を獲得しなければならぬ。その第一は自己を表現する力」(『ある昭和史―自分史の試み』「ある常民の記録」1975年)と言っているが、今はどうだろう?
ネットで知りたい情報は知れるし、SNSで「発信」もできる。あらためて「自分で書く」なんてダサイ?
N:扱い方しだいだが、自由に情報を扱える時代ではある。
As:わりとTwみているが、ネトウヨなど「ワカラナイ人のカンジ」を摑むにはいい。
Mg:でも、Twでは「言えた感じ」がしない。やはり、小さくても今日のようにじっくり話せた方がいい。
YS:いってみれば、Twは「うんこNOW!」を伝えられるだけ。そういう情報交換でしかない。そのなかで「言葉の力」が弱まってきている。
MK:「カリスマ美容師」という言葉が出て、さらに「神対応」とかいう言葉が出てきた時点で終わっている。それ以上の表現がなくなってしまった。
Mg:「神」が「八百万の神」に広がっていくならいいかも。
GO:逆にここから自分の言葉を取り戻していくということか。
Mg:実際、今は、「言葉」だけでなく、アートや音楽や多様に表現する「ことば」を持っている人も増えている。
GO:たしかに、プチ労関連では、HK(@バルセロナ)とHDが絵や写真や詩で「No name」という小さな冊子をつくろうとしていた。また、3.11以降、反原発デモの度に、MC(@ベルリン)やSKがデモコールを懸命に創っていったのも「民衆のことば」を紡ぐことだと思う。
After Comment
N:二人の実践、ほんとにすごいと思った。
ただ、レポーターのあげた今の「素人の乱」は、権力の弾圧を受けない程度にコミュニティをつくっている感じもする。メキシコのサパティスタは「自治区」をずっと維持しているが、権力はたえず弾圧の機会を伺い、そのためにサパティスタは武装もしている。
「自治」は権力に打撃を与えないとだめじゃないか。
一方、巴が生涯の課題とした「女が侵略を支え、女も差別者」だから「女の忍従をはねのけて家の中を人権の砦にする」はそのとおりだと思う。
「フェミニズム」って女がえらそうに言い立てるだけっていう感じもするが、その意味でなら、今こそ、そうだと思う。
AS:地域文庫という「自治」コミュニティは現代でもしっかりと根付いていて、私の住むところにもあって資金面で苦慮しながらもミニコミ誌を出したり活動している様子。
たみとやのりんたろう書房図書館(無料・貸出期間自由)だってそう。
Nさんのいうように権力に打撃を、というほどのコミュニティ形成は難しい現実があるかもしれないが、そういった仲間が集まり発信していく場が点在しているということは「言葉」と「ことば」の重み、価値をまだ信じている人がたくさんいるということ。
現代に蔓延るギギ風が、巴の時代と同じく抑圧された人々の自己防衛だとするならば、民衆同士が攻撃し合う遣る瀬無い怒りと憎しみのパワーを権力に向けることが必ず可能なはずで、いまではネットでも政権批判・皇室批判の嵐が吹いている。
文字だけでなく直接的な言葉の力がもっと大きく強いものになればすごいことを起こせるんじゃないか。
GO:以前、プチ労で言った「縦(権力への対抗)と横(民衆の自治)」が、いい意味で“もみ合う”ことかもしれない。
一方、「草稿」で「国家が軽視または無視するに決まっている(?)勤労大衆の生活と文化の分野」に?マークを付けたのは、権力は必要ならどこまでも入って来ると思ったから。その意味で、この後の「アジア太平洋戦争」の項で、「総力戦」のなかで、権力がどこまで民衆の生活と文化を蹂躙したかも見てみたい。
同じく、「総力戦」のなかで不可欠な女性の戦争への「協力」がどうなされたか、それが、女性が求めた「民主」をどう逆手に取ったものだったかを見たい。
次回10月31日プチ労127回は、ゆたかさんレポーターで、今、そうした女性差別も含めて、アベたちが「なかったことにしたい」日本軍の南京大虐殺の前半。
<レポート>
プチ労その 126「敗戦後の『地域文庫』運動と原爆被爆者運動」レポート
地べたからの自治と革命 ~挫折と忍従を越えて~
1940 年 5 月 11 日 山代吉宗・巴・加藤四海・板谷敬
検挙。
同日、加藤「転落死」
5 月 13 日 浪江虔 第二回検挙 →「転向」
1943 年 8 月 山代巴「偽装転向」
1945 年 1 月 14 日 山代吉宗 獄死
2 月 16 日 板谷敬 獄死
一、浪江虔の地域文庫運動
○本を介したコミュニティーづくり
1944 年 2 月 1 日 浪江虔、満期釈放
11 月 23 日 南多摩農村図書館再開
「治安維持を最優先する国家権力に正面から楯突いて挫折した苦い経験を踏まえて、こういう国家が軽視または無視するに決まっている勤労大衆の生活と文化のいくつかの分野で、長期的展望のもとに活動を積み重ねていく道を選んだ」
1945 年 10 月 15 日 初の「部落文庫」誕生
「農村図書館の建設とは本を持ち込んだり建物を作ったりすることではない。
部落に、本を読んで向上しようという『読み仲間』が結集することなのだ」
→「本を回す」ことを通じて人が繋がる。
○「薦めたい本づくり」― 知識の総有化
1947 年 12 月 農山漁村文化協会(農文協)理事に
1950 年 9 月 「誰にもわかる肥料の知識」出版
1953 年 10 月 「村の政治」出版
=「薦めたい本づくり」「『民衆の言葉』による本づくり」
→知識という武器を人々に配る。知識を「占有」から「総有」へ。
そして「闘える」から一歩進んで「自治を実践する」農民・村民づくりへ。
★農文協は、安藤昌益全集や、最近では宮本常一の講演集、内山節著作集を出版 するなど、民衆知を総有化する取り組みを続けている。
★「村の政治」の実践運動として、主婦たちが町の予算書を猛勉強して町政改革に成 果を上げた国立。後に生活者ネット初代事務局長の主婦・上原公子が多数の市民の
主体的支持に押されて市長を 2 期務め、景観権裁判や住基ネット切断など国家・資 本との闘いを続けた。
○自治の土台・地域文庫~地域を図書館の網の目で覆う~
1962 年 3 月 地域文庫第 1 号「あかね台文庫」開設
1964 年 町田市内の地域文庫 20 に到達。
1970 年 親子読書・地域文庫全国連絡会発足
1972 年 移動図書館「そよかぜ号」3 号車巡回開始
1980 年代 「町田市立図書館をよりよくする会」発足・図書館協議会設置運動
→自治労・職員組合・市民が連携し、議論を重ねながら図書館を作っていった。
「文庫ができれば必ず子どもが押しかけてくる。とても本が調達できないということで自治体に体当たりする。体当たりしていくうちに主権者としての自覚
が育ってくる。」
方針ありき、期限ありきの浮ついた「革命論」でなく、「いつか民衆が自治を実践できる土台づくり」に虔は力を注いだ。今地域に生きる一人一人に、そして未来を生きる
子どもたちに、革命を託した
二、山代巴と原爆被爆者運動
○浮ついた「党再建」と「農民運動」への違和感
1945 年 8 月 1 日 山代巴、病気仮出所
10 月、党再建本部に呼び出されて上京し、吉宗らの死を知らされる。
この時、先輩の九津見房子と一晩語り明かす。
「『占領下の(議会を通じた)平和革命』などと言って性急な組織化を急ぐよりも、 『10 年の無党時代』を招いた原因を真剣に反省し、職場や地域に根付く努力を
すべきではないのか」
しかしこの会話が告げ口され、質問も提案も認められないまま、翌朝巴は謹慎を
命じられる。平党員のくせに「自分で考えて行動」し、「不謹慎に幹部のやったことを批判する」巴は、ここでも「ギギ風」にさらされる。
一方、
1946 年 9 月農広島県連常任書記就任
1947 年 2 月農全国大会で唯一の女性中央委員・婦人部長に選出
しかしここでも、小規模自作・自小作農中心の広島で「小作農の耕作権確立・地主制
解体」「共同耕作」という日農の方針に違和感を覚える。
○忍従をはねのけろ!山代巴と被爆者運動
1946 年 1 月 中井正一との出会い
→侵略を支えた、民衆が互いを蹴落とし合う「三つの根性」「ギギ風」を克服 するには、「女たちが忍従をはねのける取り組み」が重要だと説かれる。
「中井先生の指摘されたことに生涯かけようと思いました」
2 月 小学校の教室で、わずか 20 名の「広島青年文化連盟」発足会。
→・GHQ に言論を封じられても、体験を書いたり物証をとっておいたり、「誰
にでもできるそういうことから始めよう」という学生。
・綴り方教育を通じ、被爆体験を書ける児童を育て始めていた教師
「あの会場には怒りと勇気と希望だけが寄り添っていたように思えます」
1949 年 6 月 日鋼広島争議
朝鮮人部落の多数の在日朝鮮人とともに、広島青年文化連盟の巴や峠
三吉、丸木俊らもそれぞれの方法で支援活動を行う。
10 月 平和擁護広島大会
青年文化連盟、日鋼争議団、そして多数の朝鮮人女性たちが参加し、峠
三吉が急遽起草した「原爆廃棄」宣言を採択。
1952 年 9 月「詩集 原子雲の下より」出版
1953 年 6 月「原爆に生きて 原爆被害者の手記」出版
「我々はまだ、彼らにとって、真実を訴えられるほどの資格がないのです」
「たったこれだけのことがなぜ本名で書けないのか。自由な国の人には
理解できないことでしょう」 それでも、忍従を強いられた人々の言葉を「弱いまま」記録し、伝えた巴たちの「この
一歩」は、被爆者に喜びと自信を与え、運動の礎となった。
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論点 1.『民衆のことば』と『アカデミックなことば』
・1950 年、虔と巴の対話
・コロナ禍にはびこる「専門家」の言葉
・有権者に響かないエリート「リベラル派」の「正しい言葉」
論点 2.『ギギ風』『三つの根性』を乗り越える。
・南多摩農村図書館の一室で巴が書いた『いたどりの茂るまで』
・抑圧されたものの自己防衛。今、コロナ禍の相互監視社会に吹くギギ風。
・ギギ風を乗り越える「地を這い生きる人々」の尊厳の解放。
論点 3.『自治』と『革命』
・革命は革命によって崩される?本当の革命とは。
・自治を実践する「人」と「場」を残していくことの大切さ
以上
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