2020年9月(1)

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 9月30日(水)
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 9月27日(日)
 反原発プチしゃべり場第22回
プチ労115回「近現代日本150年の労働者・民衆の闘いの歴史」第25回
  反原発プチしゃべり場第22回

22回反原発プチしゃべり場(927日・たみとや)にご参加いただいた皆さん、ありがとうございました!

今回は、参加者少なめ(6名)、平均年齢低めで行われました。

 

10年目の福島>

はじめに…NAZEN福島のチームにわかが作成した「10年目の福島」ルポ映像を含む、ゼルツァーさん作成の映像作品を鑑賞しました。

飯館村の長泥地区では、除染をしないまま帰還困難区域解除が強行されようとしている、

「除染された」はずのJR大野駅では、0.3μ㏜/hを示すモニタリングポストのすぐ足元で、持ち込みの測定器で10µSvhを観測、

第一原発から1kmほどの道路では、25µSvh以上を観測、

「コミュタン福島」なる学習施設が原子力推進機関に隣接して造られ、放射能の健康被害に触れない展示で子供たちが学習を余儀なくされている、、、

などなど、衝撃的な内容でした。

 

Mさん「知らないことが多いと実感」

Nさん「改めて、放射能ってなくならないんだなあ。」「放射能を見える化した学者がいて、(34年前に原発事故が起きた)チェルノブイリで拾った手袋がそれでみるとすごく光ってて、全然汚染が消えてない。」

MG「汚染土を覆土なしで食用作物の栽培に利用したり、菅政権の基本方針でも震災や原発事故に触れなかったりと、過去のものにしようとする動きが強まっている」「コミュタン福島のほかにも、原子力災害伝承館や北海道のウポポイ、軍艦島の歴史施設など、歴史をねじ曲げる公的な施設が次々造られ、一方で広島の平和資料館などでは展示内容を変えるように圧力がかかっている。とても怖い動き」

Gさん「東海村の学習施設でも、自然放射線量が9µSvhなどと滅茶苦茶が書いてある。」

   「検査すると過剰に発見されるからといって甲状腺検査をやめようとしている姿勢は、最近のコロナの検査を増やさない理由にも通じる」

Yさん「米国で同じことをしたら絶対に市民から声が上がる。日本人自体に、知らぬが仏という風潮がある」

 

<東京五輪>

MG「世間で開催できないという論が強まっているのに反し、政府・IOCは強行姿勢を強めている。やはり『できない』じゃなく『やめろ』と言うことが必要」

Gさん「険悪だった菅と小池知事も利権のためだから仲良く手を握っている。」

Nさん「こう意固地になられると、どうすりゃ止められるんだ!?と思ってしまう。」

 

<イベントについて>

Gさん・Nさんから、11.1労働者集会の前になにか反五輪のイベントができないかと提案。

 

Nさん「スタンディングや、日比谷周辺での久々の動くモニタリングポスト作戦はどう?」

MG「どうせスタンディングするならシール投票にしては。でも日曜の日比谷界隈は人がいない?

Gさん「前に放射能測った数寄屋橋交差点付近なら人通りもあるんじゃないか。」

   「ガイガー5はできないまでも、それなりの服装で集まろう」

MG「(村上君が喪服で来るのに合わせて)どうせなら皆で喪服にして、五輪マークの遺影を掲げれば?

Gさん「黒い服・黒マスク・サングラスで統一しよう」

MG「シールも白黒にして、白い紙に五輪賛成は白いシール、中止は黒いシールを貼ってもらって...(以下割愛)」

 

詳細は、次回しゃべり場で詰めましょう。たくさんの参加とアイディアをお待ちしております!


 

2020-9-27プチ労115まとめ>

参加者:8人 中高年:青年=26 地域:それ以外=44

メニュー:恒例北海道名物秋鮭ちゃんちゃん焼ととうもろこしご飯

 

◎「近現代日本150年の労働者・民衆の闘いの歴史」第25

レポーターゆいちゃん

第三章(4)「労働の尊厳の奪還」を広く追及した1930年代の労働運動

第四節 「左派の闘将」東交(東京交通労組)市電労働者の闘い(後半)

(第三章後半「草稿」35Pから↓)

http://tamitoya.web.fc2.com/history13secondhalf.pdf

 

今回は、東交の闘いを見て立ち上がり、「もぐらの歌」として有名になり、非合法(労働法はないので治安維持法上)左派全協の「最も輝かしい一頁」ともいわれる東京地下鉄労働者の1932年の大争議。

地下鉄労働者の現実に立った緻密で多彩な運動づくりで「一分一厘違わない結束」を創って大勝利し、その後、大量検挙で労組は壊滅するが、現代に多くの貴重な教訓を残した。

それから、東交の1930年代の闘いの後半。

東交は、「満州事変」の戦費のための軍用公債引き受けで赤字が膨らんだ東京市当局の2千人解雇に対する193210月闘争が失敗し、それを戦闘的にリードした全協が壊滅させられた後、1934年の「全員解雇•初任給で再採用」つまり給料半減という激烈な合理化に対する史上最大の40日間にわたる市電全線ストで勝利し撤回させた。

 これは、その後、1980年代、昨年101歳で死去し葬儀費用に税金を1億円弱もかけるという中曽根康弘が首相だった時に、反戦・反原発運動の中心だった日本最大の国鉄の労働組合(国労)を潰すために行った国鉄民営化で用いた「国鉄労働者全員解雇•JRで従順な労働者だけ採用」という同様の方式を50年後まで止めた闘争でもあった。

 「満洲事変」が始められ、大半の労組が「戦争賛成!だからストなど自粛して労使協調して生産に励む」なかで、組合員の腹の底から具体的な要求に基づく東交、そして東京地下鉄労組の闘いは、労働組合の原点を示すとともに、今、国鉄民営化反対で闘い続ける労組動労千葉にも直接につながる。

 レポーターはこれらの闘いを明快にレポート。

さらに、彼女は鋭く、現代に続く課題を問いかけた。

  まさに、「満州事変」という戦争のための大量解雇でもあったし、共産党と全協が提起した天皇制打倒の闘いまでどうしてやらなかったのか。労働組合は、天皇を頂点にして戦争する支配階級との闘争をやらなければ意味ないんじゃないか。待遇改善の条件闘争だけなら、会社の「懇話会」なんかだけでいい。

  東交でも東京地下鉄労組でも、たくさんの女性労働者が粘って闘う主力になっているのに、どうして労働運動の主役にならなかったのか。今も昔も労働運動や社会運動で、「婦人部」などがつくられ、女性たち自らも「婦人〇〇」と称している。古臭い。「婦人」って何だ。

 ポイントを押さえたレポートに質疑が次々織り交ざり、流れるように続いて、あっと言う間に終わった感じもした時間だった。

 

Reporter YY:東京地下鉄では、1932年の大争議の前にも争議があった。13時間の超長時間労働やほこりまみれの汚い労働環境の改善、兵士に見える青い制服を変えろ、などの嘆願書が出され、低速で走る安全闘争に対して、当時取り外せたハンドル取り上げなどで対抗した会社も、労働者をなだめるために「茶話会」を設けた。

その後、19311月から、日本交運の永田耀により労組の丁寧な組織づくりが始まる。

この永田っていう人は地下鉄の中の人かな?

GO:非合法左派の全国労働者組織、全協がつくった全国交通産業労働者の組織、日本で初の「産業別労働組合」である日本交運のオルグで地下鉄の外の人。

N:オルグって?

GOOrganizerの略。労働運動とかで、組織づくりをする専門の人。

MG:「永田耀」っていう人は有名な人?

GO:いや、Wikipedia引いても出てこないと思う。

As:永田さんたちが、みんなでうどん食べながら職場のこと話すという「うどん会」を作っていったというのも面白い。「兵隊帰りの相良も参加した」ってあるが、相良さんってどういう人?

GO:兵隊から帰ってきたら初任給に賃金を引き下げられた人で、永田と同様に有名な人ではないが、こういう「名もなき英雄」たちが、地道に労働運動を作っていった。

一同:そうか。

MG:それにしても、「うどん会」に加えて、みんなで話しながら、いろんなサークル活動とかやっていって面白い。

YY:地下鉄では、女性労働者の問題も山積みだった。地下の売店や切符売り場の女性労働者は立ちっぱなしで11時間労働、男性より給料も低く、何よりも地下には便所がなく松屋に駆け込んだ。生理の時は大変で生理休暇はもちろんなかった。

N11時間立ちっぱなし!?便所がない!?ひどい!!

Ns:松屋ってデパートの?

GO:そう。当時の地下鉄は、今の銀座線の一部だったから、銀座の地上にあるデパートのトイレを使った。

YY:そうして、1年間いろんな地慣らしをして、1931年末に労組を立ち上げ、それから2か月、会社にわからないように三味線サークルをやっている振りしたりしながら、さらにいろいろ議論して「方針が一分一厘違わず堂々の結束を勝ち取」り、東交のストを見て決意を固め、19323月深夜、地下鉄の地上出口に車両を固定して占拠してスト決行。

 争議参加者は従業員全員156人、うち女性は3割、年齢は16歳から25歳、全員が全協にも加盟した。

 多数の警官が巻き上げ機なども使って引っ張り出そうとするのに全員で戦い、4日間の占拠で、便所の設置から始まる要求をすべて勝ち取る大勝利。

(獲得した要求については第三章後半「草稿」41P参照)

 一か月後に中心活動家46人が逮捕され、労組がつぶされるが、まさに「労働の尊厳」に関わる要求項目を全員で一致させたことをはじめ、日本の労働運動史上初めての車両占拠も含め、彼らが残したものは今にいたっても大きい。

N:ほんとに、一から要求を積み上げて勝ったのがすごい!

 

YY19323月、「満州国」が建国され、大半の労組が「戦争賛成!だからストなど自粛して労使協調して生産に励む」なかで、東京市は、財政赤字を理由に10月に市電労働者2000人解雇を通告し、東交の「10月闘争」が始まる。

 現場の「闘おう」の声に合法左派執行部がひるむなかで、10月の大会で代わりに全協系メンバーが執行部を占めて12月まで闘争を続けた。

 しかし、闘争は、解雇者数の圧縮を勝ち取るものの、多数の逮捕者も出して「失敗」し、その責任をとって、12月の大会で全協系執行部は退陣する。

 この失敗について、「戦闘的な組合員も反面、『合法的に何とかなったらいいな』という期待も持っていた。だから合法左派執行部を引かせず表にたてて闘うことが不足していた」と総括された。

GO:また、この「財政赤字」が「満州事変」の戦費調達のための東京市の軍事公債引き受けに端を発していたので、同じころ「天皇制打倒」を掲げた共産党と全協は「天皇制が進める戦争と侵略に対する反戦闘争の大きな発火点」と闘争を位置付けたが、それにも性急さと無理があったと言われた。

YY:でも、まさに、「満州事変」のおかげの大量解雇でもあったし、共産党と全協が提起した天皇制打倒の闘いまでどうしてやらなかったのか。労働組合は、天皇を頂点にして戦争する支配階級との闘争をやらなければ意味ないんじゃないか。待遇だけなら、会社の「懇話会」なんかだけでいい。

GO:そう。しかし、実は、共産党も全協も「天皇制は民衆に相当浸透している」と感じていて、「打倒」といってもどうするか戸惑っていた。

N:どのくらい浸透していたんだろう。

GO:今もそうだが相当?僕自身も数年前まで「天皇なんて関係ない」という感じだった。逆に、労働者が「天皇」に反発したことがあるのは、第二章でやったが、1926年末、大正天皇が死去した時に、500人が大量解雇されたが闘争は「不敬」だと抑え込まれた東京市従業員組合が「500人の労働者だって死んだんだぞ(=解雇は労働者の死)」と叫んだ時。

 「打倒」には、そういう多くはない機会を丁寧に紡いでいく必要があった。

N:私が「労働組合も反戦闘争やるんだ!」って感動したのは、2003年イラク反戦デモに参加して、動労千葉のひとたちが大勢、デモをリードしていたのを見た時。

GO:今、動労千葉は組合員400人の組合で、千葉県に住む組合員が家に帰れば自民党支持も多いところ。そのなかで、動労千葉は、国鉄民営化反対で立ち上がって以来ずっと、今の労組で唯一くらい、組合費を天引きではなく現金で、執行委員が毎月集めに行っていて、その時に毎回、方針についてひざ詰めで組合員一人ひとりとよく話し合うらしい。

YY:もうひとつ思うのは、東交でも東京地下鉄労組でも、たくさんの女性労働者が粘って闘う主力になっているのに、どうして労働運動の主役にならなかったのか。今も昔も労働運動や社会運動で、「婦人部」などがつくられ、女性たち自らも「婦人〇〇」と称している。古臭い。「婦人」って何だと思う。2010年でも、女性の労働組合員は3割しかいない。

GO:そう!地下鉄労組では常任5人のうち2人が女性だったが、大半の労組の幹部は男ばかりだった。今もわりとそうだ。この前、第二節でやったように、繊維業の女工たちは、ものすごく数も多く、東交とともに「ゼネラルストライキ」にもなるかというすごい闘いをしたが、労働運動全体で主役になることはなかった。

N:今は、介護とか保育とか、ほんとに女性が中心に頑張っている職場が多いのに。ファッション産業でアメリカンアパレルでは、2015年、2年半かかったが、はなこ、しょうこたちが解雇撤回闘争に勝った。

Ys:当時も今も重工業系の会社などは男が多い?

YY労働組合は、ポジティブアクションというのか、女性社員、組合員を増やせとかもやるべきだ。

一同:そうだよなー。

 

YY1933年に入ると、千数百人の検挙で全協本部が壊滅させられ、その後、合法左派の東交執行部は、「ストライキをしない」という「現実主義」の方針を決定してしまう??

Ys1933年から、「満州事変」に伴う軍需生産で日本の景気は良くなる。世の中「ストなんて」っていう感じだったんじゃないか。

GO:そう!1933年から1937年をピークに、「紀元2600年」とか言って東京オリンピックも予定されていた1940年には成長率は落ちるが観光旅行がピーク。太平洋戦争の始まる1941年にかけて、敗戦後の「高度成長」にも匹敵する景気が続いた。銀座高島屋の社史にも「1930年から1937年は会社の躍進期」と書いてある。

世の中は、日中戦争になるまでは動員され死傷する兵士もまだ少なくて、どっか外でやっている戦争に無関心で国内の景気に「なんとなく浮かれて」いた?

YY:そして、1934年になると、東京市は東交執行部の「現実主義」につけこんで、「全従業員解雇、初任給で再雇用、結果として賃金半減」という激烈な合理化策を突き付ける。

Ng:「赤字対策」が理由だろうが、市電の利用者数ってこのころどうだったんだろう?

GO:たしかに、いわゆるモータリゼーションなどで減っている。そして、東京市は、「市電収入の96%は市債費」と宣伝した。つまり、市電の収入が減り、市電を維持するためにいろいろ市が借りた債券などの債務の返済費用がほぼ同額になっているということだが、この市債費のうち半分以上は、市電維持に関係のない借金だった。

 これって国鉄民営化の時のキャンペーンに似ている。いわく「モータリゼーションが進んで国鉄の利用客が減っているのに職員が働かないで『空(カラ)出張(用もないのに公費で出張する)』を繰り返して国鉄は大赤字なので民営化するしかない」。しかし、国鉄の鉄道運行の経常収支は黒字で、「大赤字」の大半は、敗戦後、国が背負うと言っていたのに国鉄に背負わされた「満州鉄道」の負債と東京オリンピックに合わせてようやく作った新幹線の建設費用だった。

YY:激烈な通告にさすがの合法左派執行部も立ち上がって、史上最大の40日間全線ストをして、全員解雇・再採用を撤回させ、賃金半減を2割の減額で止めた。

GOこれは、その後、1980年代、政府が国労を潰すために行った国鉄民営化で用いた「国鉄労働者全員解雇•JRで従順な労働者だけ採用」という同様の方式を50年後まで止めた闘争だった。

 さらに、国鉄民営化の時は、中曽根首相が裁判官を国鉄に送り込んで、この方式を「合法化」するという国家総ぐるみだった。

 国鉄民営化以降、大半の労組がストなどしなくなるなかで、動労千葉はストを含めて闘い続けて、2015年に、民営化に反対する動労千葉などの組合員を採用しないというJRの採用差別が「労働組合を不当に扱う不当労働行為」であることを最高裁に認めさせた。

 最後に、おまけで、以下の新聞記事をつけたが、さらに東交は、1937年には、市電従業員5万人が参加する23日間のストをして、1934年の賃金減額の一部を取り戻している。

 

 次回1025日プチ労116回は、1930年代の労働運動で、女性とともに主力になった在日朝鮮人の激しい闘い。レポーターはなおこさん。

 

おまけ:1937425日読売新聞記事「東京市電争議の勃発」




9月20日(日) 
 めぐろ共育ひろば#6
ちーむSHOKO泊
  めぐろ共育ひろば#6

   
 ちーむSHOKO泊

   
   
   
   
 9月17日(木)
「9中前で何がおきた?」たみとやジャーナル大反響!
9中前私服警察妨害排除 
 
   
   
 9月13日(日)
 第31回外国人登録法・入国管理法と民族差別を撃つ全国交流集会@鶴見
 第31回外国人登録法・入国管理法と民族差別を撃つ全国交流集会@鶴見

田中喜美子さんの講演“牛久入管収容所で何が起きているのか?“
「畳6畳の部屋に5人、難民申請など認めず、1日18時間鍵をかけて閉じ込めている。3年以上の人も多数いる。究極の人権侵害。さらに、アベ(スカ)は、この秋には、“難民を認めず刑事罰で追い出し支援者も取り締まる“入管法の改悪をしようとしている。」⁉️
さらに、織田朝日さん「品川東京入管収容所(東京出入国在留管理局)では、トランスジェンダーの女性を個室に閉じ込めた上に、トイレは“素通し“」‼️
   
   
 9月12日(土)
NAZEN東京保養拡大交流会@高井戸 
 
   
 9月7日(月)~8日(火)
 Mina泊
 
   



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