2020年10月(1)
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11月1日(日) | ||||||||
さよなら五輪:Music Silent Standing @有楽町駅前 11.1全国労働者総決起集会@日比谷野音 |
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さよなら五輪:Music Silent Standing @有楽町駅前 |
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11.1全国労働者総決起集会@日比谷野音 |
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10月25日(日) | ||||||||
反原発プチしゃべり場第23回 プチ労116回「近現代日本150年の労働者・民衆の闘いの歴史」第26回 |
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反原発プチしゃべり場第23回 11.1さよなら五輪イベントグッズ準備 |
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プチ労116回「近現代日本150年の労働者・民衆の闘いの歴史」第26回 <2020-10-25プチ労116まとめ> 参加者:7人 中高年:青年=4:3 地域:それ以外=4:3 メニュー:在日朝鮮人運動に敬意を表して。。。 韓国スンドウヴチゲ(絹ごし豆腐鍋)&ニラと小エビのジャン(≒チヂミ) ◎「近現代日本150年の労働者・民衆の闘いの歴史」第25回 レポーターなおこさん 第三章(4)「労働の尊厳の奪還」を広く追及した1930年代の労働運動 第五節 1930年代労働運動を鼓舞し続ける在日朝鮮人運動 (第三章後半「草稿」48Pから↓) http://tamitoya.web.fc2.com/history13secondhalf.pdf おまけ:YouTube「強制徴用地獄・麻生炭鉱を行く」 韓国JTBC放送(2019年3月7日、4分30秒) 1930年代、前に見た女性労働者の闘い以上に労働運動の主輪になり、激しく戦闘的で創造的に闘い続けた在日朝鮮人運動。 「草稿」の種本まで見てポイントをついたレポートがあり、 生きた道も時代も様々な「中高若男女」の多様な切り口のトークが切れ目なく続いて深まったしホント面白かった。 おかげで、 なんで、在日朝鮮人はそんなに激しく闘ったのか。 それが、時代を超えて、今、我々一人ひとりに「あなたって一体何?」って問いかけていること。 今の時代がもう少し見えてきた気がする。 あらためて、「草稿」筆者にとっても、歴史を追っかけることの意味が見えた。 Report N:☆あっちもこっちもストライキの時代 1930年代、今までレポートしてくれたように、非合法左派全協を軸にして、東洋モスリンの女工、遊郭の女性、市電労働者、地下鉄の「モグラの歌」の闘いがあったが、全協より戦闘的なものすごい勢いだったのが、在日朝鮮人労働者の闘い。 ☆在日の人がどれだけいたか? 「朝鮮併合」で土地を日本に盗られて食えなくなった朝鮮の農民が、「満州」に150万人、日本に100万人渡った。合計250万人で、当時の朝鮮半島の人口2千万人の12%。 GO:これは、中国の海外華僑の比率よりも多くて、ユダヤ人を除けば、日本は朝鮮民衆を世界最大の「流浪の民」にした。 N:日本にやってきた朝鮮農民は、農業をやれるわけではなく工業労働者になるしかなかった。 おまけに、日本人が嫌がる炭鉱・土建業や繊維・化学・ガラス・ゴム・窒素の工場での「きつい・きたない・危険」の3K仕事で、賃金は、平均して日給が日本人2円に対して朝鮮人は半分の1円。 ☆全協と一体化した闘い 1930年代に入り、それまで独自に闘っていた在日朝鮮人は、全協に加盟して闘い、人数、現場での闘争の質量ともに主力になったのに、日本人からは「荒々しく、原始的、単純、頑固、粗暴なまでに戦闘的」とか言われて、労働運動の中でも差別があった。 ☆それでもすごい闘い たくさんあるけど、いくつか紹介する。 〇愛知県の山間の三信鉄道工事現場の争議。 朝鮮人労働者600人が未払い賃金を求めて、労働組合の前身であるストライキ委員会を初めて作って闘った。1300人の警察や暴力団の弾圧に対して、近隣の日本人農民や村の消防団が応援して勝利した。 〇新潟県水原の耕地整理工事現場の争議。 朝鮮人労働者と近隣農村から雇われた日本人人夫,計350人が賃上げと労働条件改善を求めて共同闘争をした。賃金は、都会より低く日給が朝鮮人70銭、日本人人夫男が50銭、女が20~30銭。 注目されるのは、差別されている朝鮮人労働者が、より賃金が低い日本人人夫の賃上げのために「同一労働・同一賃金」を要求したこと。 これって、アベが「働き方改革」で打ち出したのと真逆の本来の同一労働・同一賃金。アベのは、正規労働者の賃金を非正規労働者の水準に下げること。 〇岩手県矢作村の鉄道工事現場の争議。 朝鮮人労働者700人が低賃金なのに日用品は高価格、長時間労働に抗議して全面勝利し労働組合もできたのに、下請け業者と警察と、酒を飲まされおだてられた日本人労働者も加わって3人が虐殺された。 〇九州福岡の麻生炭鉱争議。 朝鮮人労働者が、さらにひどい虐待に抗議したのが、現財務大臣アソウ太郎の実家麻生炭鉱争議。親父が社長だった。麻生は、その後も朝鮮からの強制連行「徴用工」を使って財閥になったのに、今も、一切「そんなことはなかった」と開き直っている。(YouTube動画参照) 〇ユニークなのが、大阪の「東亜通航組合」の運動。 大阪には、朝鮮半島の南端で九州からはすぐの済州島(チェジェド/せいしゅうとう)の出身者がたくさんいた。故郷に里帰りする日本の汽船の運賃の値下げを交渉しても下げないので、組合を作って自ら船「伏木丸」を購入して運行した。大阪在住の済州島出身者のほぼ全員、1万人が加盟して、労働運動・民族解放運動の一大拠点となった。 ☆闘いはずーっと続いた その時も今も残った課題 1934年に入り、日本共産党も全協もつぶされ、全協の朝鮮人活動家も800人が逮捕されたが、朝鮮人労働者は闘い続けた。 知らなかったが、1940年に日本の労働組合がすべて解散して、アジア太平洋戦争が始まっても闘い続けて、敗戦後、いの一番に立ち上がり、事務所と資金を提供して日本共産党を再建したのも朝鮮人労働者たちだった。 そういう朝鮮人労働者の闘いを支えたのは、「差別と搾取」という二重のくびきのなかで、「自分たちは尊厳のある労働と生活をする人間だ」という強い想いだったと思う。 その時も今も、私たちに突き付けられている課題というのは、前にUYさんが言った「日本は一度も謝ったことがない」という「侵略」、それにともなう「差別」がどこからきているのかということ。 それから、「日本は、自分が何者であるか見失った歪んだ侵略者のナショナリズム」と「草稿」にあるが、朝鮮人労働者の「想い」に対して、昔も今も「私たちはそれでいいのか」ということ。 Talk UY:植民地支配、慰安婦・徴用工で、「日本は一度も謝ったことがない」というのは、たしかに、僕の持論で、1990年で見て賠償額もドイツと日本は20:1。でも、謝り続けるドイツでネオナチが復活しているのに対して、日本が国として謝らないからこそ、逆に真摯に問題をみようとも思える。 MG:でも、やったことは変えられない。 UY:ドイツのネオナチ復活が「謝っているのに、許してくれないなら、じゃーいいいよ」ということなら、本当は謝るべきだけど、それより、まし? MG:でも、ネオナチより、日本のネトウヨ的なものはすごい。 UY:産経新聞的っていうか、ネトウヨ的な人も、心の中では、「謝ってない」と思ってる。 YY:そういう人は、「謝っているのに」「賠償したのに」「国際法違反」という。 MM:ところで、1930年代、三信鉄道工事の争議で「日本人農民が食糧を朝鮮人労働者に援助」したのはなぜだろう? GO:山間地の峡谷の難工事で、自分たちも農作業が大変ななかで、朝鮮人労働者の大変さがわかっていたこともあるだろう。 YY:農民にとっても鉄道を通してもらうことが大事だったんじゃないか。 N:つい最近、たみとやへ毎日遊びに来る小学2年生たちが、毎週のこども塾にも来たいと親に聞いたら「あそこは日本に反対しているからだめ」と言われたと言っていた。この表現には驚いたが、最近は、そういうのが広がっている? MG:ほんと、最近は、ネトウヨ的勢力が広がっていると言われる。 MM:1930年代とも違って、最近のそれは、いつから、どういうきっかけなんだろう? MG:そういう小学生の30代?とかの親が「日本に反対するのは。。。」というのは、ネトウヨ的、朝鮮人差別ということだけじゃなくて、自分ていうか、アイデンティティ(identity)を失った結果。それが先じゃないか。メディアやSNSや教育で。 GO:前に、MKくんが、「自分は、“ゆとり世代”の第一世代。“ゆとり教育”では、“起業”ばかり教える。でも、起業して成功するのはごくわずか。成功できないで、一人一人に残るのは、国籍と日本人ということだけ。」と言っていた。 MG:そうやって、1990年代から、自分さがし、アイデンティティ探しが求められ始めた。 AS:それは、“ゆとり世代”より、もうひとつ前のバブル崩壊で始まった“氷河期世代”からなんじゃないか。うちの姉がそうなんだが、与えられるものがない、開拓しても報われないっていう感じだった。 一同:おー! YY:私が“氷河期世代”。自分の前後の時代、急速にネットとかLINEとか発達してきた。ネトウヨ的というのも、ネットを通じて、増えてきた、見えてきたのではないか。 MG:たしかに、この間、若い世代だけじゃなくて、中高年もワイドになってきた。 YY:そういう「差別感」は、昔も多かったんじゃないか。それが、ネットの発達で見えて来ただけなんじゃないか。自分の母親も「朝鮮人きらい、こわい」だった。逆に、今の若い人は、結構、K-popにしろ、韓国とか韓国の人が好きだ。 N:おーそうだね! 歴史を勉強して、うちの母親がすごく「こわい、嫌い」と言っていたのがわかった気がする。今日もやったように、目の前で、在日の人たちが、本当に怒っていたし、激しい闘いをしていた。そこから、また「差別感」が高まったのか。 GO:それにしても、MGくんが言ったように、今は、「差別感」っていうより、アイデンティティの喪失っていうか、自分って何か?が問われ、感じているのかも。歴史を振り返ってみると、多くの日本人って、「自分は何か?」を考えなくてすんできている気がする。自分もその一人だと思う。逆に、朝鮮人学校の闘いを取材した「アイたちの学校」というドキュメンタリーでは、今も、在日の青年が「俺たちは何者なんだ」と言っていた。 YY:ドイツは、周りから激しく攻め立てられて、歴史を振り返ることになった。日本も、1990年代、朝鮮の慰安婦の人が証言を始めた時くらいに、アメリカから激しく攻められていたら、国として「謝った」のかもしれない。どうして、アメリカはそうしなかったのかな? GO:丁度、1990年代が始まる時に「冷戦」が終わった。だけど、アメリカと日本は、要りもしない「冷戦の産物」日米安保を強化して日米同盟を強めて、何とかして「冷戦の時代」を維持しようとあがいている。逆に、韓国は、1987年に民主化を達成して慰安婦の証言も出てきた。その民主化闘争を踏まえて自分たちで憲法を作り直して、「冷戦後」の世界を創ろうとしている。韓国の青年の方がさわやかに見えて、日本の青年が「あこがれる」としたら、それもあるのかも。 MG:そういう意味でも、「草稿」60頁の下の方に、在日朝鮮人運動が訴えたのは「自己のアイデンティティを求めるナショナリズム、すなわち民族解放運動だった」とあるが、「ナショナリズム」は必要ないんじゃないか。ナショナリズムって国家主義っていうか、フィクションでしかないと思う。 GO:その言葉は、日本に村人が大量虐殺されたソウルの近郊の村の教会の韓国人牧師が言った言葉だけど、アイデンティティを求めることをナショナリズムっていう必要はなくて「運動」でいいかも。 N:もうひとつ、今、出てきた、「民族解放運動」も、それが何か、歴史で見て考えていく今後の課題だと思う。歴史のなかで、民族解放闘争と労働者解放闘争はたえずせめぎあっいて、時には、労働者が解放されれば、すべて解決っていう雑駁なことも多かったようだ。 次回11月29日プチ労117回は、この間やってきた1930年代日本の労働運動のまとめというか、振り返り。感想、意見などよろしく。 以上 |
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10月18日(日) | ||||||||
めぐろ共育ひろば#7 | ||||||||
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10月14日(水) | ||||||||
こども塾202回目:二年旋風で活気 | ||||||||
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