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11月27日(日) | ||||||||
プチ労77:「賃労働と資本」第二回「第一章賃金ってなにか」レポーターなおこさん たみとやユニオン看板付きました^ - ^ |
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プチ労77:2016.11.27 「賃労働と資本」第二回「第一章賃金ってなにか」レポーターなおこさん 参加者:11人(うち4.5か月一人)、中高年:青年=6:5、地域:それ以外=5:5 <まとめ> 「賃金は契約にもとづく労働の正当な対価」なのか? に対して、マルクスが言っているのは、「賃金は、資本家が、砂糖1キロや綿糸1キロを買うのとまったく同じように労働者の労働力を商品として買う対価でしかない」と言う。そのことは、特に「賃金は分け前ではない。いくらもうかっても糸や織り機がその恩恵にあずからないように、労働力にもみかえりなし(岩波文庫43P)」でよくわかった。 先に賃金を決めて、労働者が実際に働くときには、「資本家に労働力は売られている」わけで、労働の内容や結果は労働者の手を離れている。だから、一個の大事な織物は、労働者の工夫と労働でしかできないのに、「なんだか疲れる」とか、労働者が労働しても「疎外された、いやな感じ」になる。 その「手が離れた感じ、分離した感じ、疎外感」が、レポーターが、“ろうどうくん”パペット人形のなかから、材料の糸玉と同じような“労働力”という毛糸玉を出した時によくわかった。それは、“労働力”の毛糸玉が、“ろうどうくん”の体に紐でつながっていて切り離せないのに、コロンと転がり出て、“しほんくん”の足元、材料の糸玉と織り機の横に、紐でつながったまま並んだ時。 そこには、“労働力”を労働者の体から切り離して商品にすることの無理が見える。 U:僕としては、そうはいっても、「労働が生活の犠牲(44P)」と言っていることがひっかかる。仕事は楽しいし、働く喜びがある。 Sk:それは大事な視点。 T:Uさんが毎日、新聞を配っているのと道ですれ違うことがあるが、早朝から時間までに届けること、大変な労働だけど、うまくやり終える工夫とその充実感があると想像する。 N:マルクスも、「労働は、本来、生命の発現」と言っていて、苦役とのせめぎあいだと言っている。そして、一人ひとりの労働者と資本家では、辞めるのも自由だが、階級としては、労働者はどこかで資本家に雇ってもらもらわねばならず、資本家階級のもちもの。 Sn:私は、3.11まで、こんな資本主義の社会はいやだ、それの来ないところで生きようと、自分だけで自給自足で民宿をやっていたが、原発がドカンときて、ピザを焼く窯に使う薪が汚染された。権力、政治、経済が勝手に迫ってきたなかで、自分だけの関係ではだめだ。農業もそうだし、命の問題。人間の類としての幸せを考えざるを得ないと思って活動している。賃労働もできるうちはいいけど、年老いていくなかでどうするのか。自分の孫の遺伝子もすでに傷ついている。 Mm:私も、群れるのがいやで、個人がいいと思っていた。デモもいやだった。しかし、この間、たみとやに出会ったり、デモに行ったりして、日々の矛盾が自分に直結しているのがわかってきた。 Mk:私は、ワーカーズコレクティブ(WCO)という形で、友人たちと仕事をしてきたが、はじめは時給100円で報酬自体はあがっていったが、いろいろうまくいかなかった。靴をつくるパナマウントというWCOはうまくいっているようだが。WCOをやっていくうえで、私がもっときちんと資金計画をたてていたらとか、お連れ合いの稼ぎもあったうえで、いろいろな働き方をしたいというみんなをもっとまとめていく力があったら、とか思う。 Sn:Mkさんの個人の力とか、ひとつひとつというより、やはり、類として、社会のなかで、システムが、ということではないか。 Sk:みんなが食える時給という観点をもっと強くもっていくと、社会全体、類全体のことになるのかと思う。 T:資本と賃労働者として対峙してもなかなか世の中変わらない?なかで、「人に雇われてクソな賃労働はいやだ」と仲間と自営業的にやっていく若者が増えている。こういう人と生き方が増えて資本が支配する社会を変えられるのではという意見がある。このプチ労でも両方だと議論もしてきた。WCもそうだが、こういう共同体のまわりが取引先にしても圧倒的に資本主義の会社。 Mk:実際、WCOに参加する方の多くは、パートナーが資本主義の会社で必死に働いている。そのせめぎあいがある。 一方、今日、Snさんが言った「類として、類の存在」ということは、目が開かれる思い。 U:僕には、(年代的にも?)偏見・刷り込みがあるのかもしれない。「つらくても我慢して働くのだ」という。 Mg:農奴は、労働力を切り売りするんじゃやないんですね。それに対して、今は、自由なようだけど、他のいろんな商品と同様に扱われているんだ、ということが、前にやった時よりも、今日はわかりやすかった。 今日、Snさんは「類として」と言った。マルクスは「人間は類的存在」と言った。「労働」という言葉については、Mmさんが「労の訓読みは“いたわる、ねぎらう”。だから、労働は、人の動きをいたわると読める」と教えてくれた。「類」をどう意識するか?「類として」どこでつながれるか? と考えた時に、人間の日常の自然な行為、「生命の発現」である労働、しかし、「生活の犠牲」となっている労働が、そのひとつの根っこになるのではないか。 以上 |
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たみとやユニオン看板付きました^ - ^ フクシマ被ばくと帰還強制反対 |
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11月25日(金) | ||||||||
東京北部ユニオンたみとや分会 報酬遅延の続く会員制ベビーシッター組織エスク組合員打ちあわせ |
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東京北部ユニオンたみとや分会 報酬遅延の続く会員制ベビーシッター組織エスク組合員打ちあわせ みんなの労働者性と仲間だなとあらためて感じ入る打ち合わせ 参加した乳幼児連れ学童保育労働者の感想「大人のみなさんの率直さと安定感を感じた。素晴らしい仲間ですね、また是非お話を聞きたい」 打ちあわせお楽しみメニュー「大人の三色ご飯」 |
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11月17日(木) | ||||||||
たみとやジャーナル101号発行:
随想:「みんな労働者」であること |
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たみとやジャーナル101号発行: 随想:「みんな労働者」であること ~たみとやジャーナル100号を超えて 全文は以下のPDFで TamitoyaJournal101.pdf へのリンク |
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