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 7月28日(日)
プチ労104回「近現代日本150年の労働者・民衆の闘いの歴史」第16回 

2019-7-28プチ労104まとめ>

参加者:10人 中高年:青年=46 地域:それ以外=55

メニュー:キーマカリー、ナスのザブジ(ココナッツミルク煮)

ご飯9号ともに完食御礼♪

 

「近現代日本150年の労働者・民衆の闘いの歴史」第16
第三章 1930年代(世界大恐慌~日中戦争開始まで)

 (3)朝鮮侵略が生んだ“矛盾の実験場”「満州」侵略 概説 レポーターGO

付録1:「満州」地図

付録2:「満州」【起承転結】年表
petitrou104app.pdf へのリンク

 

 1931年、ドイツでナチスが台頭したころ、アメリかで「労働者の反乱の気配が濃厚」になったころ、日本は「満州」侵略を本格的に開始した。

 よく知らない「幻の満州」、中国では「偽満州国」。しかし、調べてみると現代の「写し鏡」のような「満州国」について、「草稿」で7節にもわたるが、今回から4回にわたって見る。

今回は、「どうして満州」を中心に概説し、切れ目なく質問・意見が続いた。

以下、まとめは長いので、<小見出しの目次>をつけました。

 

 

Report & Talk 小見出しの目次>

〇「満州」ってどこ?

〇「満州」侵略の起承転結の【起】は日露戦争

〇根底には、朝鮮侵略で抱え込んだ日本資本主義の矛盾―米と糸と朝鮮人

〇「満州侵略の尖兵」朝鮮人はユダヤ人を除いて世界最大の「流浪の民」へ

〇「満州」侵略は「軍部独走」ではない

〇「満州事変」から「満州国」建国、「満州」ブーム。それは今の「半グレ」か?

〇「満州」ブームと戦後日本の「原発」ブーム

「満州国」は、労働の尊厳を踏み潰された民衆のパワーで崩壊した

 

 

〇「満州」ってどこ?               ⇒付録1:「満州」地図

 

Reporter GO:「満州」は朝鮮半島の北(地図では河を示す青い線と白い点線で囲まれた部分)。面積110万㎢で日本列島の3倍、朝鮮半島の5倍。知らなかったが、日本・朝鮮より広大な平野があり3千万人以上の民衆が暮らしていた地域。

N:広い!「人のいない荒野」のイメージだったが、こんなに平野があって、こんなに人がいたんだ。

Ks:日本がつくった「満州国」は、地図の「南満州鉄道」がある南の部分かな? 爺さんは関東軍将校だったようだけどよく知らないな。

GO:いやいや、それとT字型に走るロシア・ソ連が経営していた「中東鉄道」とその北全部。

Mg:「満州国」になってから、「中東鉄道」はソ連が日本に売却した。

 

〇「満州」侵略の起承転結の【起】は日露戦争   ⇒付録2「満州」【起承転結】年表

 

GO:アベが首相談話で「アジアを元気づけた」という日露戦争勝利は、ロシアが朝鮮に迫るのを恐れた日本が仕掛け、戦費も戦局もギリギリ、辛くも、同じくロシアをけん制したいアメリカの仲裁で講和した戦争。

しかし、それで、日本は朝鮮支配を確実にし、南満州を奪取した。

日本国内では「10万の精霊(戦死者数、ロシアより少ない)と20億の財産(戦費。国家予算の8倍。大半がイギリス・アメリカ資本からの借金)を犠牲」にした戦争だから、もう「満州は日本の利益線」と言われ、民衆の間にも第一次「満州」ブームが起こる。

 

〇根底には、朝鮮侵略で抱え込んだ日本資本主義の矛盾―米と糸と朝鮮人

 

GO:「矛盾」を端的に示すのが、資本に必要な労働力としての朝鮮人、その労働力の食料としての米、そして生産させたのが、1960年代まで日本の輸出の主力となった糸。

 朝鮮支配について、日本政府は一貫して「合法」だったというが、日露戦争直後に「乙巳(ウルシ)保護条約」、1910年に日韓併合(韓国では「併合」ではなく「強占(強制占領)」という)条約を軍隊による暴力で「非合法」に結んで確実にした。

 その直後から、朝鮮の「土地調査事業」を開始し、朝鮮農民の7割を日本人地主の小作にし、10年後の1921年から「日本のコメが足りない」と「朝鮮産米増殖運動」を始める。

当時、朝鮮の一人一日2合に比べて日本国内消費量は平均一人一日3合で「足りない」わけではなかったのに、どんどん朝鮮産米を日本に移入し、10年後には、日本国内の朝鮮産米流通量は3割に達し、米価は4割下落し、かえって日本農民が窮乏。

資本は、米価下落で日本の労働者の賃金を上げないで済んだが、窮乏した農民と低賃金の労働者では、「糸」を中心とした資本の生産物が国内では売れずに、海外、特に中国にダンピング輸出を続けるしかなくなった。

こういう米と糸との「矛盾」が、中国での「拠点」としての「満州」を確実にしようという動機になった。そういう意味でも、「満州」は「矛盾に満ちた実験場」。

MK:「糸」というのは具体的には何? 綿製品は?

GO:主要には、蚕からつくる生糸とその織物。

Ys:綿製品も多かった。

GO:イギリス支配下の「インド綿」を輸入して織物にしたものも多かった。それもまた、中国でのイギリスなど欧米諸国との競争の原因になった。

 

〇「満州侵略の尖兵」朝鮮人はユダヤ人を除いて世界最大の「流浪の民」へ

 

GO:産米の移出で、朝鮮での米消費量は、1920年の一人一日2合から1930年には一人一日1.4合(日本人は一人一日2.8合と倍)と4割減。土地をとられ食えなくなった朝鮮人は日本と「満州」へ、「職と食」を求めて「流浪」していった。

 彼らは、日本では日本人より低賃金で過酷な労働を担い、「満州」では過酷な農業開拓を担った。

 1910年「韓国併合」時に在日朝鮮人は800人だったのが、1930年には30万人。在「満州」朝鮮人は1910年に16万人だったのが、1930年には60万人。

 そして、「満州」侵略に際し唱えられた解決すべき「満蒙問題」というのは、「満州」へ押し出された朝鮮人が、中国民衆に迫害される「懸念」であり、侵略の名目は「在満朝鮮人を守るため」だった。朝鮮人は「満州」侵略の尖兵にされた。

 その後、1937年以降の日本への「強制連行」や「満州」への「強制的集団移住」を経て、1945年、日本の敗戦時には、在日朝鮮人236万人、在「満州」朝鮮人216万人、合計452万人で、当時の朝鮮人口2800万人の16%。

 これは、在外華僑の比率より多く、ユダヤ人を除き、朝鮮人は世界最大の「流浪民族」になった。

 

〇「満州」侵略は「軍部独走」ではない

 

GO:「満州」侵略の「起承転結」の【承】、「満州」への具体的な軍事行動開始は1928年の山東出兵。これの淵源は、1917年ロシア革命、それから、それを恐れた1921年、欧米資本主義国によるワシントン会議での「国際協調」と「中国の門戸開放宣言」にある。

 ロシア革命は欧米資本主義国の分捕り合戦である第一次世界大戦を終わらせたが、直後から革命を亡き者にしようとする欧米および日本のシベリア出兵があり、それに対して、日本では米騒動、「満州」では革命を守るために、シベリアへ各国出兵兵士を運ぶ中東鉄道を止める大ストライキ、朝鮮では3.1独立運動、中国本土では5.4排日運動がおこる。

 連鎖する民衆の闘いを前にして、資本主義諸国は、「お互いあまりけんかせず、仲良く分捕りあいをしていこう」と宣言し、アジアで突出しようとする日本もけん制する。

 これに対して、中国の拠点「満州」を確実にしたい日本の田中義一内閣は、中国統一を目指して「満州」に迫る蒋介石を抑えるために山東出兵をするとともに、「東方会議」で「満州は日本の特殊権益であり、中国から分離する方針」を明確にする。

 これを受けて、関東軍は、「満州」軍閥の張作霖爆殺事件を起こす。

 「満州」侵略は「軍部独走」ではない。世界大恐慌の前夜だった。

 

〇「満州事変」から「満州国」建国、「満州」ブーム。それは今の「半グレ」か?

 

GO:「満州」侵略の起承転結の【転】として、1931918日(中国では今でも9.18事件)、関東軍の謀略により「満州事変」。その後、中国支配層、民衆の抵抗を半年で排しながら、「五族協和(五族は勝手な日本・朝鮮・漢・満・蒙古)の王道楽土」を唄った「満州国」建国。

 日本国内では、アベの祖父岸信介の叔父松岡洋右が議会で「もう満州は利益線ではなく、日本の生命線」と演説し、内田外相は「満州事変は正当防衛。満州国は住民の独立運動。よって日本国を焦土にしても満州国を承認する」と「焦土演説」し、1933年には国際連盟脱退。

 この当時の状況と、2014年、国際社会が一致して批判しているなかで、日本軍「慰安婦」問題を岸信介の孫アベ政権が、否定派とともに「無かったことにする」キャンペーンを繰り広げるともに、集団的自衛権・特定秘密保護法・原発再稼働を強行した状況が酷似しているとも言われる。

 一方、当時、国内では、世界恐慌を経て、後で見るように、若い人がみな一時は「マルクス・ボーイ、ガール」になったような戦前の労働運動の最盛期となる反面、1933年をピークとした「エロ・グロ・ナンセンス」、「自殺ブーム」のなかで、第二次「満州」ブームとなった。

MK:「自殺ブーム」って、どんな数だったのか?

MM:半藤一利さんの「昭和史」(?)によれば、丸ビルからの飛び降り、続く三原山での「自殺ブーム」で昭和8年(1933)804

GO:斎藤桂さんの「1933年を聴く」でも、19331月、実践女学校生に始まる三原山では、「この年、未遂も含め男804人、女140人」。

MK:今の年間自殺者3万人(月2,500人)というよりは少ないが、若い人なんだ。一方で、最近、NHK50年間取材を続けたブラジル移民のドキュメンタリーを見たが、そこにあった「一攫千金」という意識に「満州」ブームは似ているのかな。

Ys1930年代当時、「マルクス・ボーイ」たちも、一種の「社会主義の夢」を「満州」に抱いた面がある。

MK:今、「半グレ(暴力団とは異なり暴対法に引っかからないアメーバのような「オレオレ詐欺」をはじめとする犯罪集団)」に多くの大学生がなるという状況とも似ているのかな。

GO:そうそう。1911年に石川啄木が言った「何か面白いことないかなと自分の命を持て余している」「時代閉塞の状況」が、1930年代、ひとつのピークをつけたとも言える。それは、今の日本とも似ているかもしれない。次回(825日)、みちこさんレポーターで第三節「五族協和・王道楽土の矛盾」で、そういう日本国内の状況を見たい。

 

〇「満州」ブームと戦後日本の「原発」ブーム

 

N:「人がいない荒野ではなく、3千万人も人が住んでいる広大な平野がある満州」にどうして、侵略し、多くの人が平気で人の土地に行ったのか、と思うが、戦後日本で、「地域を豊かにし、日本を豊かにする夢のエネルギー」として、原発が「いけいけどんどん」進められたのと似ているのかもしれない。

GO:その意味では、次々回、しょうごさんレポーターで第四節「総力戦の準備―満州産業開発計画の失敗」で見るように、大失敗したにも関わらず、その計画を取り仕切った岸信介は、戦後、何の反省もなく、それを繰り返して「高度成長」を演出し、原発を開始した。そして、今、その孫アベが、原発に固執している。

Yy:でも、開拓移民は、欧米の植民地のように支配者は地主で何もしないわけではなく、自ら農業に汗を流した。

GO:そうだけど、同じく、しょうごさんレポーターの第五節「棄てられる開拓移民」に出てくるが、「人の土地」だと気づいて移民をやめた村長もいた。原発反対運動でもそうだが、それが、どうしてなのかも見ていきたい。

 それから、「満州」は、朝鮮人と中国民衆を「棄民」にし、敗戦とともに日本人開拓移民を「棄民」し、彼らが汗を流して作った土地と作物は戦争で収奪した以外は放り出した。

 「棄民」と「焦土」の「満州」。

 

Aa:ほんとに「満州」って知らなかった。教科書でもほとんど触れていない。

N:親戚が「満州」経験者とか、引き上げ経験者だという人は多いが、教科書的には、日本の一種の「ひけめ」ということかな。

Uy:いわゆる「つくる会教科書」ではどういっているのかな?

GO2009年自由社「日本人の歴史教科書」(196頁)では、「満州で日本人が受けていた不法行為の被害を解決できない政府の外交方針に不満を募らせていた国民の中には、関東軍の行動を支持するものが多く」と「仕方なかった」という書きぶりだが、事実と違う。あるいは、「日本人」って朝鮮人のことか!?

 

「満州国」は、労働の尊厳を踏み潰された民衆のパワーで崩壊した

 

GO:「満州」侵略の起承転結の【結】は、1937年日中戦争開始から。

 一般に「満州国」は、日米戦争敗戦、ソ連参戦で崩壊したと言われるが、「矛盾」の塊、「満州国」は、建国後数年にして、崩壊が始まったと言える。

「満州国は、武力弾圧と監視なしには一日たりとも存在しえなかった」と言われるように、中国・朝鮮民衆の抗日闘争で日々掘り崩されていった。

それを、10月のプチ労、ゆたかさんのレポーターの第六節「満州国を揺るがせ続けた抗日武装闘争」、第七節「満州侵略の兵站基地―朝鮮の労働者・農民の革命的な闘い」で見ていきたい。

 

以上

   
   
 
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@たみとや版
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