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3月31日(日) 
 反原発プチしゃべり場@たみとや第9回
プチ労100回目「近現代日本150年の労働者・民衆の闘いの歴史」第12

反原発プチしゃべり場@たみとや第9回まとめ  
参加者7名
オーストリア国営放送取材を控えて、今日も活発な意見やアイディアが続々のしゃべり場となった。

 

★この間の情報交換など

M:これまでのオリンピック関連の新聞記事の切り抜きから、著名人の誰がオリンピックに反対しているのかまとめています。原発関連では今中哲司さんとかもいる。

S:最近ネットで見ていると、福島の飯館村とかの線量がめっちゃあがっている。ちょっと大変な線量です。 浪江とか、南相馬とかも高い。

あと、原発事故後する、すぐに友達作戦で福島に上陸したドナルドレーガンの乗組員は5400人中2900人がなんらかの疾患にかかり、訴訟をおこしているね。

N:最近、なんかオリンピック返上もりあがってない?

MM:そうそう、小池がだんだん力を失ってきた感じがする。

S:あいつはだいたい約束したことひとつもやってない。

T:ひとつやった。都庁内に保育園を作ったんだ。会社や役所に作るということはあの通勤ラッシュの中子供を連れて電車に乗れっていうことだよ。地域に公立保育園もつくらずに。

 

 ★4・7オーストリア国営放送取材

福島共同診療所を取材して放映した女性記者ユーディット・ブランナーさんがきます。通訳に動労千葉支援する会の方がきてくれます。取材内容はわからないので、ありのままでいこう。

 

 ★動くモニタリングポスト作戦

本町クリニックがガイガーカウンターを貸してくれるので、連休中にやろう。

オリンピック組織委員会が出している地図をみながら。

T:どの辺に行く?

S:これぐらいなら2日ですむので全部やろう!

M:自分たちでまずやって、みんなに公表する。第二回でみんなに呼びかけて、マラソンコースも測りたいですね。

S:マスクと手袋はしていったほうがいい。測定状況をライブ中継しよう。そうすれば

数値とか編集してないことがはっきりわかるから。

なお、しゃべり場の後、「2日間連チャンで車運転はきついなあ」(Gさん)、「連休後半なら参加できるのになあ」(Uさん)という声が出たので、4月29日30日連チャンではなく、例えば30日に1日、5月3日とか4日とかに1日という2回作戦について、28日しゃべり場でご相談したい。

 ★追加質問回答(都庁のみ)

相変わらず中身のない回答。こっちの材料を増やしてからまた行こう。

 ★オリンピックアスリートへの呼び掛け文

N:ちょっとつくってみたのを日本語訳で読みます。S子にチェックしてもらっています。 問題は誰に送るかなんだけど、Sさんがいっていた食品に関して組織委員会に強い要望を出している9にんとか。

M:各地でオリンピックに反対しているグルー  プとかに送るのもいいですね。ピョンチャンに反対していたグループとか

N: ツイッターで検索してみるけど、情報があったら教えてください。

 ★雑誌「序局」依頼原稿

みんな匿名にしてあるけどよんでみてくだい。        

 

 その他

S:今福島とかの除染現場では フレコンバックの入れ替えをしているらしい。あの一枚1万円のフレコンバックは中にアルミニウムがはってあるというだけでそんなにもつものではない。それで前に入れたのが古くなってくるので入れ替え作業を今しているらしい。

N:なにそれー、また作業員は被曝するし、なんにもなんないじゃん。

S:あと、フレコンの置き場なんだけど、仮置き場に置く前に仮の仮置き場があって、そこにおいて、ずーっとそのまま。つまりかりかり置き場におきっぱなし。

  一同:えーっ!

S:先月関東圏の子どもたちかの7割からセシウムが検出されたというニュースがながれたけど。7割にばかり着目してどうして3割の子どものことを調べないんだ?と思う。多分セシウムが出ない子たちは親たちが食事や水やあらゆることをしているはず。そここそ調べて、放映すべきこと。

N:その通りだと思う。でも政府はセシウムとの共存、放射能との共存などと言って安心安全を浸透させようとしている。許せない!

T:そういえば数日前に多摩川べりを歩いていたら川崎側の護岸で建設をしているところに大量の黒いフレコンバックの様なものが見えたんだけど。

S:黒いものはフレコンバッグと決まってる。普通の土砂を運ぶものはベージュ。

一同:マジで!そんな危ないものを川の近くに埋めるのか?そこも測りに行かなくちゃ!

 

  他では聞けない情報も色々あったりして、しゃべり場は生き生きと面白い。話しているだけではなく、具体的に行動する、がセットになっているから面白いのだと改めて感じた。次回は428日日曜日17時からです。

 
   

2019-3-31プチ労100まとめ>

参加者:6人(そのほか、Yさんのよびかけで近所の大学の「留年愛好会」のTさんがプチ労後の懇談に初参加) 中高年:青年=42 地域:それ以外=51

メニュー:沖縄タコライス、ナスの黒糖味噌煮

 

「近現代日本150年の労働者・民衆の闘いの歴史」第12
第一部 ペリー来航~敗戦~戦後革命期(1853年~1954年)

第三章 世界大恐慌~日中戦争開始まで 

(1)世界最大の反戦勢力ドイツ労働者階級と資本代理人ナチスの闘い

コラム/ナチスに抗したドイツ労働者階級の「あと一歩」―労働の尊厳/(「草稿」25頁)

 レポーターなおこさん

 

 前回見たドイツ労働者階級の「あと一歩」が何だったのか。2月の沖縄県民投票やオリンピック返上署名運動や政府の意識調査の分析を踏まえて、現代日本に引き寄せて考えてみた。

レポーターのわかりやすい整理もあって、面白い議論になったと思う。

 

1.  我々は、ナチスを作った「自分のことしか考えない大衆」なのか、「自分たちで自分たちのことを決めるPEOPLE」なのか。(レポートなおこさん)

 

 別紙:手書きレジメ

 

N:ナチス戦犯アイヒマン裁判のレポートで騒然とした議論を起こしたハンナ・アーレントは、「ナチスは、自分のことしか考えないことと裏腹に自分の利益がどこにあるかわからない大衆が作った」(「草稿」27頁)と言ったが、その“大衆”は、今の日本に似ているかも。しかし、2月の県民投票で沖縄の“大衆”は辺野古基地建設を拒否した。

 

 付録12.24沖縄県民投票記事(東京新聞「こちら特報部“若者の選択”」)
okinawakenmintohyo.pdf へのリンク

 

 記事によれば、「名護市では、昨年、政権が推す市長が当選後、有料ゴミの値段が安くなり、保育も無料化された」から賛成という人がいる一方、「おじい、おばあが子孫の世代に基地造らせたらあかんというから反対。この町で娘を育てていくから」という「歴史を考え、自分たちのことを考える」23歳のパパがいた。

 

N:そして、アーレントも「資本主義の発展が、《労働》の優位をもたらし、《仕事》や《活動》の人間的意味を失わせ、大衆を生み出した」(「草稿」28頁)と言っているが、沖縄“大衆”も労働者。コラムでは「ドイツ労働者階級の“あと一歩”は、今も、まさに奪われている“労働の尊厳”を見据え、それを取り戻す努力をもっとすることだったのではないか」(「草稿」26頁)と書いているが、その「労働の尊厳」って何なのか。

 アーレントは「アイヒマンは、ユダヤ人虐殺を実務的に処理したフツーの人」と言うが、これは、オリンピック返上署名運動でやりあっているオリンピック組織委員会の総務課長とかぶる。“自分は仕事をしているだけ。上からの指示に従っているだけ”。

 一方、3.11反原発福島行動で聞いた広島の教師倉澤さんの話は、教師の労働の尊厳を示していたと思う。

「復興庁の嘘だらけの“放射能のホント”というパンフを小学生に配るのをやめた。職員室で、他の先生たちが理由を説明しろというので、NAZENの仲間から聞いたことをもとに10分間にわたって拒否を表明したら、教頭が共鳴して回収した。」

 

N:「あと一歩」どうすれば勝てたのか。それは、労働の尊厳をとり戻すために“倒すべきは資本、その代理人のナチス”という原点に戻るべきだった。そして、それを階級として共有すべきだった。コラムにあるように、イギリス労働者階級は、第二次大戦末期に歴史上はじめて、イギリスで“PEOPLE”と呼ばれるようになったらしい。それは、彼らが政党などに頼らずに「自分たちのために闘う者は自分たちしかいない」ことを共有したまとまりと存在感を示したから。(「草稿」30頁)

G:その前史には、国民4人に一人が参加した1926年のゼネストの経験があり、第二次大戦で、首相チャーチルの功績として映画にもなったが、ナチスがイギリス占領の一歩手前まで迫ったダンケルクからの撤退作戦を労働者・漁師が大量の漁船で成功させた。

そして、1945年には、チャーチルを追い落として労働党を押し上げ、世界のモデルとなったNHSなど社会保障政策を実現させた。(これを描いたケン・ローチ監督のドキュメンタリー映画「1945年の精神」を413日シネマ共謀第19回で上映予定)

Mg:「草稿」に、ドイツ社民党や共産党が、選挙を意識して、「混乱を招く」ゼネストを指示しないなかで、ハンスなど労働者たちが盛んに議論するところがあるが(「草稿」16頁)、「政党を自分たちに取り戻す必要」があったと思う。

今、再開発反対運動に関わっていても同じ。反対を表明している政党も基本的に“議会主義”。住民投票などには耳を貸そうとしない。

Y:自分の区でも同じ。

N:目黒では、防衛研究所に戦争のための「国際協力センター」建設反対が盛り上がった時に、今は立憲民主党の議員が出てきて「住民運動はそれ以上やらないで。あとはまかせて」と言ったが何もしなかった。

 

2.  現代日本の意識調査「ここ10年、過去最大の個人志向と満足度」の意味(レポートGO

 

G:我々は「大衆」なのか「PEOPLE」なのか。

ハンスたちの議論のなかでは、ヘレが「共産党は僕らに何も問いかけないし、議論させない」と言ったが、「政党を取り戻す」ためにも、「自分だけ」の大衆から「自分たち」のPEOPLEへ向けては、自分たちの問題を共有する「議論=Talk」が必要。

しかし、以前、プチ労では、「SNSで“いいね”が100以上来ていたのが、原発について投稿すると何も来ない」とか「自分の周りの人は“議論”を怖がる。野坂昭如のアニメ“ほたるの墓”も見れないと言う」とか言う意見が出ていた。

そうした現代日本を俯瞰する意味で、古市憲寿「絶望の国の幸福な若者たち(2011年)」が使った内閣府の「社会意識」と「国民生活」の世論調査の「その後」を見てみた。

 

 付録2:現代日本の「意識」2019~古市氏の「世論調査」のその後
modernjapanconsciousness.pdf へのリンク

 

 図1の選挙投票率が、5割を切るところまで下がっているのはご存知のとおり。ナチスの時の選挙が投票率8割台だったのとは大きく違う。ただ、低投票率は、よく言われる「20代のせい」ではなく、長期の推移をみれば、20代も各年代も同じ動き。

 そのうえで、強烈だったのが、昨年調査で、図2の「個人志向」、図3の「現在の生活への満足度」ともに、約半世紀にわたる調査で過去最大になったこと。

 古市氏は2010年までの調査を見て「社会志向が結構高い」としていたが、2011年から一転、「社会志向」が急減し「個人志向」が急増。「満足度」は、2008年から急増し「不満度」との差も過去最大になっている。

一同:シーン

Mm:うーん、最近の世相をよく示しているように思う。

G:一方、図4「現在の生活の不安度」を見ると、これは、「満足」と裏腹に高い水準。古市氏によれば、他の調査で、「社会への不満」はさらに高い。そして、図5「愛国心」は、アベなどが高めようと頑張っているが微増。また、他の調査での「国のために戦うか」という問には、他国に比べて圧倒的に「戦う」は少ない。

我々は何者なのか。

N:過去最大の「個人志向」と「満足度」は衝撃。だけど、何か納得する。2011年以降盛り上がった反原発デモで思ったのは、確かに個人での参加が多いこと。最近も、たみとや店頭に「最初のころはデモに行ってました」という若いカップルが来た。

一方、愛国心は、個人を中心に考えるからこそ、まだ、それほど伸びてない。

Uy:しかし、「社会志向」が低いと言っても、ボランティアする人多いんじゃないか。

Y:ただ、「非政治的」なのかな。

G:そう、古市氏も「ボランティア多いのは評価すべき。ただ、カンボジアでこどもの学校つくるとか、自分の足元でやるのが少ない」とも言っている。

 

G:一方、この徹底的な「個人志向」って、人の命と労働の尊厳を尊重する「ほんとの自立」ともいうべき「質」に変わり得ることを示しているともいえないか。

1に印をつけたように、「個人志向」が「社会志向」を上回ったのは過去2回ある。高度成長末期の1972年とバブルが盛りになった1987年で、その後、また「社会志向」が増加している。

 いずれも、その後「成長」の回復がしばらく続いた時期。言いかえれば、「自分の生活がまた豊かになる成長を期待」して「社会志向」が増えてきたのではないか。

それに対して、ここ10年は、「ついに成長が期待できない」時期。

そういう「あきらめ」とともに、「自分だけ」にしても「生活をほんとに守らないと危ない」という意識ではないか。

Mg:「今は貧困よりも自分の承認が問題」と古市氏は言うが(付録2最後)、承認欲求は過去にもあり、「成長期待」の時は国や会社からの承認で、今は個人でSNSからの承認。

G:若者だけじゃなくて、役人の「忖度」もそういう「空しい承認」のためじゃないか。

そのために必要以上の「議論」は控える。

ひどい労働環境でも、「議論」しながら労組で闘う人は多くない。

 しかし、この間の急激な動きのもうひとつの特徴は、「“今日より明日がよくならない”と思う時、人は“今が幸せ”と答える」と言われる「満足度」を含めれば、その動きの出発点が、2008年リーマンショック、年越し派遣村、“労働の尊厳を奪った元年”とも言える年であること。2011年原発事故は、その動きを加速した形。

Y:コンビニでも立ち上がる人が出てきた。

G:「無関心とあきらめの海」のなかで、手探りの「議論」をしながら始めたオリンピック返上署名運動に「アクセルが入った」のも、Mrちゃんの除染労働の「無駄」の話。

 「個人志向」の質が人の命と労働の尊厳の「承認」へ変化するまでもう少しなのかも。

 

N:少なくとも、沖縄県民投票の記事「若者の選択」の最後で、大工見習の21歳が「県民投票って意味ないかも。でも、政府が何を言い、どうするか見てみたいんです」と言っているように、「見ている」し「考えて」いる。それが希望だと思う。

そして、沖縄の長い苦闘の歴史を踏まえ、賛成にしろ、反対にしろ「議論」している。

Y:最近、仲間と「みんなはどう立ち上がるのか」を議論した。

N:沖縄だけでなく、2011年直後にデモが盛り上がったように、オリンピック返上署名運動も想定以上であるように、「見て考えている」人に火が付くきっかけは、「議論」の場のつくりかたもあるが、今、いろんなところにあるんじゃないか。

G:「自分だけ」から「自分たち」へということに簡単な結論はないが、長期間の意識調査のなかで、この間の急激な変化には一定の意味があるのではないか。

「投票に行かない青年のなかにも、農業などで、尊厳のある生活と労働を新たな協働で創ろうとする人たちが多くいる」とコラムに書いたが(「草稿」28頁)、実際、知り合いのMnちゃんは、いろんな人の協力で自然農の自給生活を組み立てながら、県民投票直前の辺野古に行ったり、原発の討論会に参加したりしている。

 

 次回(428日プチ労101回目)は、ドイツの史実に戻って、今まで、都市部中心の闘いを説明したのに対して、農村部について、いい資料を見つけたので、補足で書いたコラム/ナチス台頭の主力は農民!―しかし「あと一歩」労働の尊厳か民族か/(次回ご持参ください)で、農村でも「あと一歩」でナチスを阻止できたかもしれないことを見たい。

以上

   
 



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