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 11月24日(日)
 反原発しゃべり場第15回
プチ労107回「近現代日本150年日本の労働者民衆の闘いの歴史」第18回
 

15回反原発プチしゃべり場にご参加いただいた皆様、ありがとうございました!

今回は、Twitterで見て署名提出に参加してくれた初参加のKさんを含め、ほぼ満席の11人!
直子さん謹製スイートポテトを食べながら、大いに盛り上がりました。

 

Kさんは東京駅での反五輪スタンディングに参加してきましたが、道行く人の関心はもう一つだそうです。

東京五輪のボロが次々と出てきて、「気運」でいえばこの上なく盛り下がっている今日この頃ながら、
今一歩「返上!」の声に結びつかないのはなぜか?

今回はまずそんな話題からスタートしました。

「『決まったことだからしょうがない』という人が多い。」「みんな評論家目線になってる。自分事として考えていない。」「五輪のようなイベントのために国家がヒトやモノを総動員するということに、誰も違和感を覚えない」

 

反五輪を伝えないメディアの責任を問う声も。
(リベラルな)朝日新聞でさえ、『ラグビーW杯の成功をTOKYOに活かそう』みたいなことを書いてる。」
「メディアがスポンサーになってるから批判できない。」
「テレビは『五輪をもう一度見るまではがんばって生きます』みたいな老人ばっかり映す。そして老人ばかりテレビを観る。」

 

続いて前回の続きで、組織委への署名提出と、福島での聖火リレーへの対抗策をみんなで考えました。

 

署名提出は17()10時~、都営大江戸線勝どき駅(A2b出口)集合に正式決定。

週刊金曜日とレイバーネットへのスケジュール掲載依頼、プレスリリースを出す手はずなども決まりました。
(レイバーネットにはすでに掲載されました!)

 

福島の聖火リレーコースは、12月に発表されるそう。コースが発表されたら、
動労水戸の測定マップと重ねた画像を作って、Twitterの背景画像にしようということになりました。
また、リレー当日もできる限りの抗議はしますが、
事前に同じコースをタイベックスを着てガイガーカウンターで測りながら走るという案も採用に!

リレー当日の行動については、タイベックスを着るかどうか、どこまでなら認められる(捕まらない)か、
あるいはいかに規制をかいくぐるか?
みたいなことで大いに議論が盛り上がりました。

(ちなみに聖火はLPガスであること、水をかけても消えないこと、
高線量の地域はどうやら車で移動するらしいこと等々、残念な事実も次々と明らかに...

 

突っ込みどころ満載な聖火リレーの裏をかく作戦は、まだまだ議論の余地がありそうです。

それではとりあえず皆さん、年明けの署名提出行動にふるってご参加よろしくお願いします!
来られない方も是非ご拡散ください!

   
プチ労107回「近現代日本150年日本の労働者民衆の闘いの歴史」第18回

参加者:12人(ドイツから一時帰国のMsさん特別参加、幼児「F太のねーちゃん」1名) 

中高年:青年=48(青年率最高更新) 地域:それ以外=57

メニュー:韓国労働者、民衆の闘いに敬意を表して

     スンドウブチゲ(純豆腐鍋)、ニラと桜エビのジャン
         岸田さん差し入れフルーツ盛り合わせ、Yさん差し入れボジョレ・ヌーボ-

 

「近現代日本150年の労働者・民衆の闘いの歴史」第18
第三章 1930年代(世界大恐慌~日中戦争開始まで)

レポーターゆたかさん

 第三章(3)朝鮮侵略が生んだ“矛盾の実験場”「満州」侵略

       第四節 「総力戦」の準備―「満州産業開発計画」の失敗

       第五節 棄てられる開拓移民

別紙補足:敗戦後日本の国家賠償裁判‐戦争をなかったことにするか、しないか

 

以下まとめPDF版
petitrou107.pdf へのリンク

 

「“持つ者が持たない者に持たせることをしない”という現代でも同じ発想のアベの祖父岸をはじめとした日本の支配層は、『満州国』という壮大な“ハリボテ”を使った“ママゴト”のために、中国・朝鮮の民衆を踏みにじり、日本人開拓移民を棄てたのに、学校で習う『満州国』の設立から滅亡は1行で済ませられて、自分の“嫌韓”にも通じている。“自分(の認識)が何で出来ているか”を考えても、僕らはもっと伝えていかなければならない。」

詩人であるレポーターが「草稿」の一部を朗読したうえでのまとめがExcellent!!!

彼の自前の「言葉」がズーンと響いた。

 

第四節 「総力戦」の準備―「満州産業開発計画」の失敗

 

概説GO:「満州産業開発計画」は、「農民の窮乏を救い王道楽土建設」など当初、勝手ながら青年将校石原莞爾らにあった「夢」はすぐに消え、「革新官僚」岸信介らが差配する「日本資本主義の延命」のための「統制経済」の実験になる。日本の国家予算の半分を使う計画の結果は大失敗だったが、岸らにより、この計画を模して国家総動員法体制が作られ、反省もなく敗戦後の高度成長体制に引き継がれる。

 

Reporter UU:石原らの意識の背景として、第4節のコラム「『軍国主義』の根本は農村の窮乏」に、「『軍国主義』は日本人の本性に根差すものではない。農村の窮乏の拡大とともに『軍国主義化』も増大してきた。」とあり、当時の小作人をめぐる議論として「小作人の権利を伸長させることは働く意欲を一掃する」とか「そもそも貧窮者の大部分は遺伝である」とかあったようだが、“持つ者が持たない者に持たせることをしない”のは現代も同じ発想だ。ところで、“革新官僚”ってどういう意味かな?

GO:石原らの「夢」への共感もそうだが、1929年世界恐慌で大失業時代になり、農村は窮乏し、明治以来の「近代化」のなかで蔓延していた「時代の閉塞感」があった。岸らのやったことは「上からの統制」でしかなかったが、何かそういう窮乏や閉塞感を吹っ切ってくれる「明治以来の旧態依然を作り直す維新」と受け取られて、「革新」だったのではないか。

今も、多くの10代の人たちが「日本を取り戻す」というアベたちを「革新」とみているらしいこととも似ている。

 

UU:「満州」の「実験」を敗戦後に引き継いだという意味では、もうひとつのコラムにあるように新幹線。

。。。「計画」の初代委員長十河(そごう)は、敗戦後、国鉄総裁として、「満鉄を疾走した特急をぜひ再現したい」と1964年東京オリンピックの前日に東海道新幹線を開通させた。しかし、無理な工事で多数の労働者が死んだ。それは、戦争とその膨大な死者を「なかったこと」にする「日本の復興の証」オリンピックのためだった。

開高健は、オリンピックの閉会式で黛敏郎作曲の梵鐘の電子音楽を聴きながら「得体のしれぬ暗愁の混沌において、ごううううおおおンと鳴り響くところへ『君が代』が演奏されるものだから、いよいよこちらは、おとむらい気分、陰々鬱々となっていく」と書いて、戦争の死者を、「復興」の死者を想った。。。

 岸らは「満州」で、結局、敗戦に至る“壮大な実験”をした。でも、その「成果」は後の日本に“移築”するためで、「満州国」が巨大な“ハリボテ”で、そこでやる「実験」は、いわば“ママゴト”だということはわかっていたのではないか。仮に戦争に勝利したとしても、人の国に勝手に国をつくったことの無理を。一時はワーっとなっても自分で矛盾が見つかることを。

 

GO:三つ目のコラムに書いたように、たしかに、岸には、敗戦後、何の反省もなかった。A級戦犯容疑者となって自決を促された時の返歌は「名にかえてこの聖戦(みいくさ)の正しさを来世まで語り残さむ」だったし、後には「戦後日本の姿は建国以来かつてない敗戦に直面して呆然虚脱し、優秀なる民族性を忘れ果てた姿である。我らはかつて世界に比類ない国民的結束と世界を驚倒する進歩発展を遂げた。この国民的優秀性は依然として我らの血を流れているのである。」と書く。敗戦後も、明らかに岸は「戦前」を生きていた。

 

第五節 棄てられる開拓移民

 

概説GO:「産業開発計画」と同時に、1937年、日本政府は、日本の5反未満の零細農家の半分にあたる100万戸を「満州」に送り込む「開拓移民計画」を立て、1942年までに、中国農民3千万人と日本統治でやむなく「満州」に行った朝鮮農民100万人超とが営々と耕した農地の6割、日本の総面積の半分で「満州」総面積の14%にあたる2千万㌶もの土地を詐取した。

しかし、「1戸が20町歩」と宣伝され送り込まれた開拓団には技術と装備は追いつかず「成功した開拓団」は数少なく、食料増産の「計画」全体としても失敗だった。

そして、敗戦までに青少年義勇軍を含めて27万人送り込まれた開拓移民は、1945年敗戦とともに置き去りにされ、1年後にようやく始まる引き揚げまでに8万人が死亡。うち7万人が病死で、残り1万人のうち3千人以上が「集団自決」だった。

 

UU:こんなにいろんなことがあったのに、学校で習う「満州国」の設立から滅亡については、ほぼ1行で済ませられている。

 

レポーター雑感“自分(の認識)が何で出来ているか?”

 

UU:だから、自分にとって、「満州国」より朝鮮半島のほうがまだ近い気がする。そうはいっても、今まで、実際知り合った韓国人には何もないのに、「旅行したい国ではない」という意味で、なぜか「嫌韓」。どうしてか? よくわからないが、最近あらためて知ったが、1987年まで韓国が軍事政権だったからかな。

“自分(の認識)が何で出来ているか”と考えると、最近は、たみとやでのいろんなやり取りで出来ていて、その前は、友人たちとのやり取りで出来ている気がする。

 

MM:私も、韓国への印象は、11月の労働者集会に行って、韓国労組の人たちが大挙して来ているのを見て変わった。若い人も、やはり中国・韓国より、欧米へのアコガレが強いのかな。

N:逆に、プチ労では、若い人から反米という声も出た。

MG:反米というわけでもないが、例えば「韓流」などには興味がない。

MK:話は戻るが、「満州開拓移民」には、村ごと行ったのが多いというが、被差別部落ごと行ったのもあるんですかね?

GO:あるある。「満州」では被差別部落民も中国・朝鮮民衆より「上」。

MK:そのへんから、一層、カーストというか、日本の差別構造がつくられた面があると思う。

N:一方で、みんな開拓移民に行く中で、第5節のコラムにある長野県の佐々木村長のように移民を送り出すことを拒み続けた人がいたことを絶対覚えておくべき。

GO:そうそう。彼が拒み続けられたポイントは、妻の「身内を送り込めない場所ならやめておきなさい」という一言と若い時に通った山宣などが講師の「伊那自由大学」で学んだことだった。2018年には、FNS大賞のドキュメンタリー「満州移民に抵抗した村長佐々木忠綱」が放映されたらしいが、敗戦後、まず彼がしたことは、教育のために、村になかった高校を作ることだった。

 

UU:そういう意味でも、僕らはこういう歴史を伝えていくべきだと思う。

 

補足:敗戦後日本の国家賠償裁判‐戦争をなかったことにするか、しないか
petitrou107appendix.pdf へのリンク

 

GO:置き去りにされた開拓移民は敗戦後どうしたのか。中国残留孤児とともに残留婦人が国家賠償を求める裁判があった。彼女たちは、敗戦後も、帰還事業を打ち切られ、戸籍を抹消されるなど、何度も棄民されたうえで2001年に提訴し、2006年、日本政府の責任は認められたものの、「賠償請求には今一歩たりない(判決文)」?と却下された。

ところで、この「戦争被害への国家賠償の必要性」は、1955年に提訴された「原爆裁判」で最初に認められた。しかし、1963年の判決は「アメリカの原爆投下が国際法違反」としながら、「国際法は国と国との問題であり、アメリカを日本の裁判所は裁けない」として請求を却下した。

これが、「慰安婦」・「徴用工」問題を「解決済み」とする1965年日韓協定の「国と国との問題とは別に、国家への直接の個人の請求権は残る」という、1999年まで日本政府が主張していた解釈につながる。

それでも、「原爆投下は国際法違反」は、国際人道法の問題として2017年の核兵器廃絶条約につながった。

そして、201911月には、日本の国家賠償を求める韓国での「慰安婦」裁判が始まり、今、「国際法は国と国との問題」なのか「国際人道法」の問題なのかが、あらためて、日本政府に問われている。

こうした敗戦後の国家賠償裁判の過程は、言い換えれば、日本人も朝鮮人も中国人も棄てて「戦争をなかったことにするのか」、「しないのか」のせめぎあいだ。

 

KS:たしかに、日本は、アメリカとともに「戦争をかくそう、かくそう」としてきて「経済大国」になった。一方、ドイツは、「反省。反省」とやってきたんだが、ある意味、「堂々」と再軍備して「大国」になった。ネオナチも復活している。

YS:「ナチスが悪者」ということが強かったからか?

GO:そうはいっても、1960年代、ドイツで学生運動が懸命に問いかけたから民衆レベルでの「自らの加害責任の反省」も始まった。それでも、ドイツも日本も反戦があらためて問われるのは、さらに、“持つ者が持たない者に持たせることをしない”資本主義そのものに対する、学生だけでなく、尊厳をかけた労働者・民衆の運動が必要っていうことだね。

N:歴史は続くし、闘いは続くっていうことだね!

 

 

次回2020126日プチ労は、その意味でも、「満州」の歴史の最後に、「満州国」を揺るがせ続けた中国民衆の抗日武装闘争と「満州侵略の兵站基地」朝鮮の労働者・農民の闘いを見ていきたい。

さらに、2月以降は、第三章「草稿」後半ということで、1930年代、日本国内の労働運動と農民運動を見ていきたい。

以上

   
   
   
 
 11月20日(水)
欧州でIOCの2020東京放射能オリンピックに批判
こども塾171回目:おやつは岸田さん手作りチーズケーキ 
東京五輪の帰趨如何には内外から重大な関心が寄せられておりますが、この程、福島事故が放出した放射性物資に起因する健康被害の可能性を全く無視してきた国際オリンピック委員会を批判する重要な動きが始まりました。

15日、Andi Nidecker 博士(IPPNWスイス支部幹部)より、IOCThomas Bach会長宛の公開書簡(仏語)が寄せられました。

フランス、スイス、ドイツの有志、反原発活動家、研究者など35名と17団体の署名を集めて出されたものです。

<公開書簡和訳>

IOCのトーマス・バッハ会長に公開書簡を出しました。フランスのネット情報誌Mediapartに今朝、掲載されました。今後私たちは、2月後半に、ローザンヌのIOC本部前で、集会を予定しています。和訳を以下に、掲載します。

トーマス・バッハIOC会長殿

拝啓、

私たちは、日本の夏のあり得る酷暑のために、選手や公衆への健康の配慮からマラソン競技を北海道の札幌に移転させるという貴職の決断の報に触れました。しかしながら、福島第一原発の事故によって引き起こされた放射能のリスクについては、私たちが知る限り、貴国際オリンピック委員会によって考慮されたという報には接しておりません。確かに、この問題は見えにくいのですが、長期間にわたる健康リスクの原因となるのです。

 9年目が過ぎようとしている現在、福島の原子力事故は終わっておらず、原子力緊急事態宣言の下にあります。放射能の放出を封印することができないまま、8年が過ぎようとしています。日本全国、とりわけ福島県を中心とする東日本に過大な放射能汚染をもたらしました。またこの度の台風15号、19号は、今までにないほどの強さで、同じ地域を襲ったのです。河川の氾濫は、野山にあった高線量の放射能を各所にもたらしており、その状況も把握しきれない状況です。

 聖火リレーは、Jヴィレッジという福島事故対応施設を出発点として、汚染地をくまなく走るという信じがたい計画です。ベースボール、ソフトボールの試合に予定されている福島市の「福島あずま球場」周辺の土壌汚染は、最大6176Bq/kgの汚染が検出されており、トライアスロンの水泳を行う東京湾の一部は、すでに汚物で異臭が放たれ、湾岸部には、放射能が高度に堆積しています。東京にもホットスポットは存在しています。
 私たちは、東京オリンピックに参加する選手たちの健康を憂う以上に、この開催が、大半が100年、また数千年に及ぶ汚染区域である福島周辺に暮らさざるを得ない住民たちの不都合な現実を消し去ることを最も危惧しているのです。これらの住民の中で、とりわけ、妊娠している女性、あるいはその可能性のある女性たちや子供達がこの惨事によって打撃をうけ、放射線の高線量にさらされているのです。
 こうした重大な状況を告発せず、貴職たちが東京オリンピックの開催をすることは、全世界にたいして福島事故が大したことではなく、何事もなかったごとくに消し去ることに加担することになるのです。
 私たちは、日本で受ける健康リスクに関し、貴職に、オリンピックゲームに関係する場所について、独立系の科学者たちによる放射線量の調査を実施させ、その結果から然るべき結論を導き出すよう要請するものです。

署名者:
Françoise Bloch, socio-anthropologue CNRS retraitée, membre de Contratom et de l'ex-collectif IWHO
Bruno Boussagol, metteur en scène, Appel du 26 avril
Françoise Bouvier, membre de l'ex- collectif IWHO
Françoise Chanial, des amis de la Terre et du collectif ADN
Martial Château, SDN 72
Odile Gordon-Lennox, membre du comité de l
association Soigner les Enfants de Tchernobyl Genève
George Gordon-Lennox, journaliste et fonctionnaire international à la retraite
Yu Kajikawa, Sayonara Nukes Berlin, Berlin
Kolin Kobayashi, journaliste indépendant, Echo-Echanges, Paris
Hiroko Komori, Association Plus, Paris
Claudio Knüsli, oncologue, membre du comité IPPNW Suisse (International Physicians for the Prevention of Nuclear War), Bâle
Bernard Laponche, Association Global Chance
Andreas Nidecker, bureau IPPNW Suisse
Jean-Luc Pasquinet, Collectif ADN
Pierre Péguin, Collectif Arrêt du Nucléaire
Jean-Yves Peillard, membre de l'ex-collectif IWHO
Eric Peytremann, membre du comité
Soigner les Enfants de Tchernobyl ((Care for the Children of Chernobyl SET)
Claude Proust, juriste retraité EDF, Corenc
Anne-Cécile Reimann, Présidente de Contratom, Genève, Suisse,
Ivo Rens, Professeur honoraire, Université de Genève
Philippe de Rougemont, President of Sortir du nucléaire Suisse romande
Annick Steiner, membre de l'ex-collectif IWHO, Genève
Kurumi Sugita, socio-anthropologue CNRS retraitée, Nos Voisins lointains 3.11
Yûki Takahata, écrivaine, traductrice, Paris
Wladimir Tchertkoff, documentariste co-fondateur de l
association Enfants de Tchernobyl Belarus
Annie Thébaud-Mony, directrice de recherche honoraire Inserm, IRIS/GISCOP93/GISCOP84
Jean-Luc Tonnerieux, membre de Vosges Alternatives au Nucléaire et de l'ex collectif IIWHO
Toshiko Tsuji, membre de Yosomono-Net,
Erwin Weiss, membre du comité Contratom,
Olivier Zimmermann

団体:
ADN 75
Association Echo-Echanges,
Collectif contre l'ordre atomique
« Enfants de Tchernobyl Belarus », par les huit membres de son CA :
- Marie-Elise Hanne,
- Michel Hugot (co-auteur et réalisateur des documentaires Belrad 2015 et Survivre à la pollution atomique),
- Yves Lenoir (auteur de La Comédie atomique et, avec le cinéaste Marc Petitjean, de Tchernobyl, le monde d
après),
- Catherine Lieber (autrice de la brochure Introduction à la radio-protection et du CD Lune d'Avril),
- Jean-Claude et Maryse Mary,
- Françoise Tailhan,
- Wladimir Tchertkoff (auteur de Le Crime de Tchernobyl et réalisateur des films Le Sacrifice, Controverses nucléaires et de nombreux autres documents audiovisuels sur Tchernobyl).
Association Henri Pézerat,
Association Nos Voisins Lointains 3.11
Réseau Sortir du nucléaire, France
SDN Berry-Giennois-Puisaye,
SDN Isère,
SDN 72,
Sortir du nucléaire Suisse romande
Yosomono-Net France

 
こども塾171回目:おやつは岸田さん手作りチーズケーキ
   
 
11月16日(土) 
Thank Mina for coming‼️ 
Thank Mina for coming‼️
メニューはハンガリーグーヤッシユ豚肉&三里塚野菜版とインディカ米チキンライス
岸田さん差入れたみとや店長作小魚揚げ
お土産、ミナ手作りタイ香り米^_^
   
   
   
 11月7日(木)
大勝利!たみとやユニオン岸田さん「エスク・ベビーシッター報酬返還訴訟」
 たみとやジャーナル第131号「私はあきらめなかった!そして勝った!!」
 大勝利!たみとやユニオン岸田さん「エスク・ベビーシッター報酬返還訴訟」


   
   
 たみとやジャーナル第131号「私はあきらめなかった!そして勝った!!」

 11月3日(日)
11.3全国労働者総決起集会@日比谷たみとや版 
 
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   



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