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 7月29日(日)
 しごとのはなしBAR第7回
プチ労94回「近現代日本150年の労働者・民衆の闘いの歴史」第五回

2018・7・29 仕事の話BAR第7回
       参加者6名 地域5:その他1

前回までの「保育の話バル」の一定のまとめの上で
今後は、保育情勢というより、一人一人の仕事に目を向けていこうということになった。...
また、今後いろんな分野の仕事の方に声をかけていくことに使う仕事の話バル瓦版を試作した。

瓦版裏面、たみとやがこれまで受けてきた労働相談3件を紹介。

それを受けて今回初参加、某大手通信会社契約社員のJさんが語り始めた。彼はまた、仲間たちとグラフィックデザインのグループをつくっている。

J:ものすごい頑丈なピラミッド社会が自分の会社。民営化のモデルにもなったこの会社はおおもとになる会社からピラミッド型に子会社孫会社と多くの会社が連なる。その中では正社員がぬるく働いていて、面倒くさい仕事はすべてバイトがやる、それを管理しているのが正社員。4時半ころになるとそわそわと帰り支度に入る正社員、それとは全く逆に一日の仕事の問題がなかったかとピリピリしているバイトたちという構図が繰り返される。自分はそんな正社員を見て“生きている感じがしない”。のでうらやましいと思ったことはない。

N:正社員は管理しているだけなのか。
最近では介護の世界では点数をつける評価があるらしい。それって老人を介助するときにいかに効率よくやるかってこと?そんなことまったくナンセンスじゃないの?

G:90年代に最初に成果主義、人事評価制度を導入した富士通は失敗した。
僕のいた会社もそう。
その時に人の仕事を数値化して評価するのは無理だということがわかったはずだった。人はチームでいろんなことを補い合いながら協働していくものだ。結局人が人を評価するとすきかきらいかになってしまう。

S:私も人事評価制度導入するっていうんで仕事を辞めました。
すごく自由にこどもたちを保育できる私立の保育園に15年ほど勤めていたがあるとき保育園などを増やしていこうというタイミングで園は人事評価制度を導入した。自分ともう一人の先輩が反対したが、居づらい場所に配置換えされた。その後10年がんばってやめた。ほんとうにこどもたちや親たちに必要な保育は?と問い返しながら今の仕事をしている。

Y:自分の養護施設はそんな評価制度もなにもなさすぎてなんかもう少し何とかならないかなと思うこともあります。でも子供を見ていく仕事に評価ってやっぱり違うので、一緒にやっていくうえで批判し合ったり、アドバイスしたりできるかどうかということになると思う。

N:同じ仕事をしているのに正社員、派遣、契約社員に分けられ、給料がちがうのってどうなんだろう?

J:派遣というのが最初に出たときに比べて今、格段に時給が下げられていると思う。
派遣会社が相当取っている。

G:会社は、安い派遣とか契約社員を出来るだけそのままにしておきたい。
うちの息子は4年勤めたから正社員になれるという時に会社が導入したテストに組合として抗議してストライキをして、テストを受けなかったことを理由に一人だけ雇止めとなった。
一方、今、人を非正規化してもうけるのも頭打ちになってきたのでとうとう正社員に手をつけた。それが今回の働き方改革、残業代ゼロ法。

N:コミュ力がある人が評価されるって言うけど、コミュ力があっても会社にモノ言う人は全員ばつつけられるよね。

J:コミュ力の意味は純粋なコミュニケーション能力ではなく、会社の言いなりになってウェーブに乗る力のことでしょう。今自分は、別にやりたいこともやっているので、残業がないだけいいかなと思っています。

G:正社員の給料が高いのは人を管理する分の金。それをみてうらやましいと思えるはずがないよね。

今回は思わず、初参加のJさんが提起してくれた話が面白く、成果主義、人事評価制度の話になった。Sさんがそれに反対して仕事を辞めた話には驚いたし、感銘を受けた。

成果主義や評価制度に対抗する“協働”という言葉もちらっとだされたが、次回は共に働くこと、協働について話していけたらと思う。



 


プチ労94回「近現代日本150年の労働者・民衆の闘いの歴史」第五回

参加者:5人 中高年:青年=3:2 地域:それ以外=4:1
メニュー:タイ屋台風ガパオライス、田村さんの清里高原有機ズッキーニ炒めサッピの手作りミント風味、田村さんズッキーニの梅干し・ナンプラー漬

◎「近現代日本150年の労働者・民衆の闘いの歴史」第五回(レポーターごう)
―第二章(3)治安維持法と「表」に出る天皇

〇共謀罪の元祖、なんでも「双葉のうちに摘み取る」治安維持法

1925年、第一次大戦後、盛り上がった「大正デモクラシー」に押されて制定された普通選挙法(男子のみ)と抱き合わせで制定された治安維持法は、昨年、アベが強行成立させた共謀罪(公式名称「テロ等準備罪」)の元祖。

まずは治安維持法ってなにか。

7条しかない法律の第一条は、
「国体を変革し又は私有財産制度を否認することを目的として結社を組織し、
又は情を知りてこれに加入したる者は、十年以下の懲役又は禁固に処す」

これを当時、政府は「第一条の“国体を変革する者”は、無政府主義者(アナキスト)のこと、“私有財産制度を否認する者”は共産主義者のこと。だから、一般の人は関係ない。」とあけすけに説明。

そもそも「国体」とは「国の形態」で天皇のことらしい。

明治憲法にもなかった「国体」という言葉は、この法律で初めて法律用語になった。
しかし、この法律のなかに「国体」という用語の定義はない。
ある意味、わかりやすいのは、この法律で人々を取り締まった実行部隊、特高(特別高等警察)の教科書の説明。
「国体とは、国家の統治権の総覧者が何人いるかで分類される国家の形態。一人なら君主国体、複数すなわち人民の代表が統治するのが民主国体。わが国体は、上御一人の典型的君主国体。これは、わが国建国以来の歴史上の事実で憲法の条文の規定ぶりによるのではないことは説明を要しない(説明がいるだろう!!)。」

しかし、これで、なんでも「双葉のうちに」取り締まった。

治安維持法の適用第一号は、1926年、学校での軍事教練に反対する学生たちだった。彼らは無政府主義者でも共産主義者でもなかった。
その後、適用範囲はどんどん広がり、文化人、宗教者まで、「国民生活の安定を求める」請願をした者など、とにかく、当局が、天皇のもとで国がすることに違和感を持つ者と決めつけた者をこの法律でどんどん検挙した。
そのために、普通の検事より判断力の高いエリートとして「思想検事」制度も作られる。
特高の教科書は言う。
「現実に国体を変革した場合には既存の刑法等で罰せられる。本法はもっぱらこの実害を生ずるおそれがある行為を“双葉の内に摘み取る”もの。本法の特色は、そうした目的を持つことを罪とするもの。」

そのための「予防拘禁」と「保護観察」。

「違和感を持つ者」から、さらに「そのおそれがある者」を捕まえるために「予防拘禁制度」をつくり、一旦検挙して、「転向」(もう国に文句をいわない、天皇を積極的に支持すると表明)して釈放された後も監視を続けるために「保護観察制度」もつくった。
これらが、日本が、1931年「満州事変」で朝鮮から中国へ侵略を続け、1937年、日中戦争、1941年、日米戦争をしていく上で、民衆を黙らせる強固な下支えになった。

〇何で1925年?「守れ!地主と資本家」―その筆頭が天皇

ところで、1925年には、無政府主義者も共産主義者も「死んでいた」。
1923年、関東大震災の時に無政府主義者の中心人物大杉栄は殺され、1924年、第一次日本共産党は解散していた。

いないモノを取り締まるのか?

しかし、支配層は怖かった。

ロシア革命が真っ先に届いた「満州」中国人労働者の闘いが怖かった。
「大正デモクラシー」で起きてきた労働運動・農民運動に火が付くのが怖かった。
彼らが言う「地主と資本家打倒」が怖かった。

当時、天皇は最大の地主であり有数の資本家だった。
―天皇は、1945年の敗戦時で、130万町歩の土地を所有。これは、ほぼ新潟県の総面積、あるいは、東京・神奈川・大阪・香川・佐賀・鳥取の六都府県の合計面積に匹敵する。
そして、三井財閥、住友財閥と同額、三菱財閥の倍の有価証券・現金という資本を所有していた。

だから、治安維持法の「国体」は地主を、「私有財産」は資本家を守ることであり、その筆頭である天皇を守ることだった。

その代わりに「国体」と天皇は法律の「表舞台」に出てくる。

明治以来、天皇制のもとで資本主義を発展させてきた日本の支配層には、第一次大戦後、立ち上がってきた民衆に対して、「国体」すなわち天皇を法律上に引っ張りだしてでも体制を整えないと持たないという危機感があった。

「国体」、資本主義体制が揺らいでいた。

〇どこが「共謀罪の元祖」? 死んでいない治安維持法が「地続き」

治安維持法と共謀罪の最大の共通点は「内心の自由の取締」。

法律用語では「罪刑法定主義」を破壊した。
「罪と決められている行為を実際に実行してから罪に問われる」というのが法律の原則。
二つの法律は、これを破壊した。
「考えただけ」でも取り締まられる。
誰かのメールを受け取って反論しないで黙っていたら捕まえられる。

治安維持法は死んでいない。共謀罪へ地続き。

治安維持法は1945年に廃止され、同時に特高警察も廃止。
しかし、直後に「思想検事」は公安検事に移行し、特高警察は公安警察として復活。
各自治体では、デモや集会を許可制にしている公安条例が制定された。
他の先進国ではデモと集会に許可は不要だ。
「予防拘禁制度」は、1974年の刑法全面改訂作業のなかで、「保安処分」という名前で復活し、2003年の精神障害者の強制入院制度を決めた「心身喪失法(心神喪失者等医療観察法)」で実施。
「保護観察制度」も少年に対する保護処分として復活し、さらに大人に対しても、満期釈放者に対する保護観察制度が検討されている。

「アナーキーな少年や精神障害者」から治安維持法の骨格が復活。

一方、「天皇への忠誠」法制も復活。

1979年、反対運動を押し切って元号法制化。その後、法制化推進運動は、アベの閣僚の大半が会員である「日本会議」に発展。
―例えば、目黒区役所では反対運動を続けたひとたちがいて、西暦使用が可能だが、警察は元号しか認めない。
1999年、国旗国歌法制定。国法上は罰則がないといいながら、東京、大阪をはじめとする自治体では、教員・職員が日の丸・君が代に起立・斉唱しなければ、唇の動きまで監視して厳罰。

その上で昨年、3回も廃案になった後の4度目の正直で「オリンピックのテロ対策」に名を借りた共謀罪(「テロ等準備罪」)。

テロ等準備罪なのに「テロ」の定義は法律の条文に一切ない。
そもそも、法律制定の名目は「国際条約であるパレルモ条約の批准」。
しかし、パレルモ条約の目的は、マフィアのマネーロンダリング(資金洗浄)の規制。
「自爆テロ」など対象じゃない。

それなのに、当局が「テロ集団」と勝手に見なした集団の人のメールを受け取って反論しなければその人も捕まるのが共謀罪。

〇天皇交代直前の治安維持法と共謀罪

もうひとつの共通点は、天皇交代直前の制定。

昭和天皇裕仁は、治安維持法に守られながら、日中戦争、日米戦争のゴーサインを出した。
平成天皇明仁は、2016年、自身の悲鳴でもある「生前退位を希望するビデオメッセージ」。
日本国憲法では、「退位の希望」を民衆に直接公開することは憲法違反。
しかし、アベは、すぐさま「生前退位」を制度化し、そのうえで、改憲(憲法の改ざん)をしようとしている。

次回は、当時、治安維持法の上にたった天皇制、そして、今、共謀罪の上にたった天皇制について、いろいろトークしてみたい。

以上

 
 7月25日(水)
 猛暑のなかやるのか! 反原発プチしゃべり場@たみとや発
福島にフタするな! 今からでもオリンピック返上!! 署名はじめます!
たみとやジャーナル120号発行
 猛暑のなかやるのか! 反原発プチしゃべり場@たみとや発
福島にフタするな! 今からでもオリンピック返上!! 署名はじめます!

そもそも、フクシマの原発事故の影響を「アンダーコントロールされている」という安倍首相の嘘で始まったことが問題です。福島の原発事故は収束していないし、まだデブリを取り出す方法すら見えない中、毎時放射性物質は放出されています。その中での「復興五輪」はフクシマの現実に蓋をすることです。オリンピックパラリンピックは人が健康で元気にスポーツをして楽しむ祭典のはずが、このままでは福島の人たちの苦しみを隠蔽し、東京に住む私たちだけでは無く、世界中の人たちを被曝させることになります。

もう一つはなぜこの一番暑い時期に開催されるのかということです。

IOCの募集がこの期間に限定募集されていたとのことですが、参加するアスリートのことと観客のことを考えていたら、35度を越える気温の中で競技をさせるというのは考えられません。

最後にお金の問題です。

オリンピックはこのままやったら2兆円から3兆円かかるといわれています。もちろん儲かるのはスポンサーだけだというのはロサンジェルスオリンピックからずっとそうです。私たちは望んでもいないオリンピックをやってずっとその負債を負っていくことになります。今すぐやめれば1000億円の違約金ですみます。

私はスポーツも大好きですし、スポーツ観戦も好きです。このオリンピックはそういう人たちの根本を「人の命を大切にする」ということを、踏みにじっていると思います。

決まったことは止められないという方が多いと思います。しかし戦争もそうやって始まり従って来た歴史があります。

今からでも2020年東京五輪パラリンピックの返上を求めます。

↓をクリック!!
https://chn.ge/2LwKueO



 
 7月22日(日)
 ヒロシマ・ナガサキ・フクシマは改憲・戦争を許さない
NAZEN東京集会@西荻窪
 

よかったのは、この1年間のいくつかの「東京で何するか」「東京でどう仲間を増やすか」の具体的実践に裏付けられた集会だったこと。

 「東京で抗議しなくてどうする」という復興庁への抗議行動の話。「池袋だけでは実現しなかった」という清掃工場見学の話。「オリンピック気持ち悪くない?今からでも返上求める署名」の話。

 会場からも、ヒロシマ映像にも触発されたI先生(?)の「今年でなくなった長年の広島へのこども派遣団の復活」という実践的発言が出て、個人的にもこども塾@たみとやの先生とこどもたちが浮かんで、具体的に何かやれそうな感じもしました。

 Mgくんが、開始前に「1時間以上も討論の時間があるんですね」と言っていたけど、そんなに長く感じなかったんじゃないか。

 

そして、そういう実践的意識のもとに、あらためて提起された「内部被ばく」というテーマが、ヒロシマの映像と「しゃべり場」的運営で、入った

 Mさんの「ヒロシマではどうして甲状腺がんがないの?」という「しゃべり場」的運営のトライがあって、1参加者だった杉井先生の発言があって、「内部被ばくって」がよくわかった。

 実際、自分の運営するブティックなどで反原発の話などしながら、ほぼ1年ぶりに我々的集会に練馬から参加した、たみとや店長の友人のSは、4時までの予定を4時半まで伸ばして、途中から身を乗り出して聞いているのがわかりましたが、帰った後「すごく「参考になった。また、呼んでくれ」とメールをくれました。


   
   
   
   
   
 7月18日(水)
 こども塾@たみとや112回目
暑いのにみっちり満杯♪恒例カキ氷大会(動画40秒)
こども塾@たみとや109回目
学校の先生ごっこ(動画39秒)
こども塾@たみとや112回目
暑いのにみっちり満杯♪
恒例カキ氷大会(動画40秒)




こども塾@たみとや109回目
学校の先生ごっこ




 7月14日(土)
 シネマ共謀@たみとや<第11回>「GO」
 シネマ共謀@たみとや<第11回>
「GO」 2001年日本映画122分
監督 行定勲 出演 窪塚洋介、柴崎コウ、大竹しのぶ、山崎務

盛況♪ 映画館らしく手作りポップコーン♪...
「今でも、”反原発デモって朝鮮人がやってるんだろ?”って言う友人がいる」Mくん


   
   
 7月1日(日)
 7.1国鉄闘争全国集会
 
   
   
   



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