プチ労91「近現代日本150年の労働者・民衆の闘いの歴史」第三回
参加者:7人(うち幼児1) 中高年:青年=3:4 地域:それ以外=4:3
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◎「近現代日本150年の労働者・民衆の闘いの歴史」第三回「1920年第一次大戦後恐慌から1920年代前半労働運動・農民運動の高揚」(「草稿」Ⅰの2の(1)~(2)レポーターごうさん)
<まとめ>
〇第一部第一章のまとめ
欧米資本主義の「まねっここざる」明治政府は、「国体」を発明し、日清・日露戦争と朝鮮侵略で、労働者・民衆をないがしろにして何とか欧米に追い付こうとした。
あわせて、「国民」には、日露戦争講和時の日比谷焼き討ち事件などを契機に「日本は一等国」という大衆的なナショナリズムも芽生えてきた。
それに対して、朝鮮民衆は闘い続け、欧米資本主義の分捕り合戦である第一次大戦とともに起きたロシア革命を軸として、日本で”革命の予兆“米騒動・ドイツ革命・朝鮮3.1独立運動・中国5.4運動と国際的に連携した民衆の闘いが起こった。
〇今日から1920年代―労働運動・農民運動の本格化と天皇制の変化
第一次大戦後、世界の資本主義は新たな段階に入り、それらの動きを踏まえ、日本でも、労働運動・農民運動が高揚し、国家・資本、そして天皇制が対応を迫られる。
〇本日、1920年代前半のポイント三つ
1.
世界の動き―「フォーディズム」で資本は「黄金の20年代」、労働者は「血塗られた20年代」
2.
日本の労働運動・農民運動の高揚―あっちもこっちもストライキ
3.
関東大震災で朝鮮人虐殺など「ナショナリズム」の動き
第一部第二章本文↓
jh12.pdf へのリンク
1.
世界の動き
・「フォーディズム」―T型フォード大人気でベルトコンベアー方式の大量生産が一般化し資本は絶好調。労働者の仕事は熟練工から単純労働になる。これは第二次大戦後の「生産性基準」の原点。
・このころ日本の資本主義は第一次大戦の「濡れ手に粟」で急成長して「アジアの一等国」だが、それでも世界の「3等国」。国家・資本にとっては「欧米に追い付け」という劣等感は変わらなかった。(本文4ページコラム「日本資本主義の位置と第一次大戦での急成長」参照)
・絶好調資本に対して、欧米労働運動は「血塗られた20年代」(本文5ページコラム「潰えた1923年ドイツ革命」参照)
・そうはいっても覚えていてほしい「歌う組合」アメリカIWW。
―おまけ:IWWの歌集「Little Red Song Book」抜粋動画
(本文7ページコラム「資本を揺るがしたアメリカIWW(世界産業労働者組合)の奮闘」参照)
2.
日本の労働運動・農民運動の高揚
・1920年代当初、欧米に比べても日本の労働運動はかつてない盛り上がりを見せる。創業20年にしてはじめて「溶鉱炉の火」を消した八幡製作所大争議を始め、全国「あっちもこっちもストライキ」。
・争議に共通していた基本テーマは、団結権だった。普段従順な労働者が一斉に立ち上がった時、彼らが感じていたのは、「自分たちがつくらなければこの世になかった団結、その労働組合」を発見した解放感だった。(本文11ページ)
・その勢いに労使協調で「社会主義とは死を賭して闘う」としていた最大の労組友愛会も日本労働総同盟になり綱領も「資本家階級の抑圧と迫害に対して徹底的に闘争する。」とあらためる。
・農民運動も米騒動以降、1919年には85件だった小作争議が1920年408件、1921年1680件と盛り上がる。その勢いを受けて1922年には日本農民組合が「日本の農民よ、団結せよ!然して田園に、山林に、天与の自由を呼吸せよ!」と宣言して結成。
3.
関東大震災での朝鮮人虐殺など「ナショナリズム」の動き
・一方、1923年の関東大震災では、翌日までに3689か所で自警団が組織され6600人もの在日朝鮮人が虐殺される。自警団に立ちはだかって朝鮮人を守り、あるいは匿った多くの日本人もいた。違いは、朝鮮人と「普段から暮らしをともにしていた」か「話したこともない」かだった。
・2週間後には、憲兵大尉甘粕が社会主義者大杉栄・伊藤野枝・6歳の甥を虐殺する。甘粕の「生き甲斐は、民族の長、政治の長たる皇室、皇室の有たる日本国にすべてを空しうして尽くすこと。天皇教である。家族制度と皇室と国との関係を考えると日本はありがたい国だと思う。族長、統治の長の一致せる国は日本のみ。国家なる文字の真の意義(国と家)は、日本にしかないと言うのは当然である。」
・それより前の1921年には、31歳の朝日平吾が「天皇のために悪辣な資本を倒す」と安田財閥総帥を刺殺。「天皇教ナショナリズム」も始まっていた。
〇意見・感想
☆1920年代、民衆の闘い、すごい!
Sk:ストライキに立ち上がった労働者の声(本文11ページ)を見ても、ひとりひとりの素朴な要求で、1920年代って知らなかったけど、なんか今の原点だ。
Yk: 「自分たちがつくらなければこの世になかった団結、その労働組合を発見した解放感」って爽快だ。
Mg:この20年代って、労働運動・農民運動、それから「右翼」の青年の動きを含めて、みんなが自分で「政治」を考えている。「政治」が近い。すごい。
☆「ナショナリズム」の青年達も懸命に悩み考えていた?
Nk:30年代になると、血盟団事件や5.15事件とかあるけど、彼らは、日蓮などの仏法で天皇制の内容を変えてこの国をどうにかよくしようとしていたようだ。「右翼」の青年たちも懸命に考えていた?
Yi:たしかに日蓮には社会をよくするために「闘う」がある。
Go:伊藤博文が明治憲法をつくるとき、ドイツの学者に「欧州の憲法政治のベースにはキリスト教がある。日本は仏教をベースにしたらどうか?」といわれたらしい。日本では仏教を弾圧した歴史があり天皇を機軸にした。1920年代には天皇制自体が時代に適応するのかどうかいろんな意味で問われ変化する。次に見る治安維持法制定もそうだし、「満州国」もそれに絡むので、「右翼青年の葛藤」について30年代のところでもまた見たい。
☆「大正デモクラシー」「普通選挙運動」など「中間層」の動きが抜けている?
Mg:普通の歴史では触れられない労働者や農民や朝鮮民衆の動きを見るために「中間層」の動きはあまり触れない?
Go:そうでもあるけど、労働運動や天皇制などの関連のなかで、もう少し「大正デモクラシー」「普通選挙運動」自体を補足していきたい。
以上
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