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 2月25日(日)
 反原発プチしゃべり場@たみとや第二回目
プチ労89新企画「近現代日本150年の労働者・民衆の闘いの歴史」第一回
 反原発プチしゃべり場@たみとや第二回目

まとめ  

2回反原発プチしゃべり場にご参加いただいた皆様、ありがとうございました。前回と同じ8名ながら異なる顔ぶれで、また違う視点での議論を展開できたかと思います。

 

 今回は、話題の本“しあわせになるための「福島差別」論”や、年末に復興庁が打ち出した「風評払拭・リスクコミュニケーション強化戦略」など、急加速する事故と被曝の隠蔽・ごまかしの現状に、どう対抗していくかが大きなテーマとなりました。

 

 Gさんの説明の後で、初めにそれぞれの近況の中で思うことを出し合ってもらいました。

おしどりマコ・ケンの講演を聞いたSTさんは、「ドイツの議員は日本よりリベラルでしっかりしているように見えるけど、実は国民の目が厳しいから変なことができないだけ」と報告。

初参加のSKさんは長年保育の現場を見てきた中で、「給食の産地の公表を求める親」と応じられない職員、また地域に即したサービスを提供できなくなる企業化など、「歪み」が広がっていると指摘。

これを受け、OSさん「自分も職員だが、一人の親でもあり、子供には安全なものを食べさせたい。」「(行政が)ちゃんと放射能を測っていないことが問題。では測った結果安全と証明されたものを食べてもらう運動をすればいいかと 言ったら、それは闘いにはならない。」

さらにTGが「検査の上で流通している野菜にしても、安売りに使われている現状がある」と発言。

そもそも野菜は完璧な検査ができないという中で、YYさん「農業をやめなきゃいけないくらいになっちゃうのが原発。政府はそれを認めようとしない。」

そしてNさんが「風評被害も被害」、

Gさんも「行政に責任もって測らせるべきだ」

と、責任の所在の確認と追及が議論の軸となる中、初参加のWHさんが「では福島の農家応援と反原発は共存できないのか?」と、今回の核心となる疑問を提示。

TGも「そこが〈突っ込まれどころ〉になっている」。

OSさんは運動を引っ張ってきた立場から、「『測ったものを出荷』は否定しないけど、運動としては『非難』の立場が当然」と発言。

YYさんは「そもそも国の測定基準が信じられない」。

ここでNさんが、“福島のおコメは安全ですが、食べてくれなくて結構です。”という農家の本を紹介。

WHさんも賛同し、「『国が買い取れ』って運動を、今やっていないのなら、やるべきだと思う。」

一方、YYさんは、「私は避難を勧めるのが基本だとは思う。」

OSさんは保養の参加者の中で、避難したくても様々な事情でできなかった人が多いことに触れ、WHさんの提案に「やるべき、というより、是非主体になってやってほしい!」と、とりあえず一つの方針は出ました。

 続いてSTさんが福島産品の不買運動をやってはどうかと提案。

OSさん「分断が起きないように、生産者と顔の見えるつながりの中でやりたい。」

また、TG「福島といっても一括りにはできず、現地で作り続けたい人もいる。」

OSさん「『現地で作り続ける』が闘いになるのなら、やりたい」

 議論は「反原発主義」への偏見にも及びました。

Nさん「イデオロギーを批判して、分断を煽っている」「反原発主義者が危険を煽っていると思われないような理論をどう創っていくか?」

WHさんも、「〇〇主義者はエゴイズムの実現のためにやっているという一般のイメージ」を感じるといいます。

ここでSTさんが「私は反原発原理主義!帰ります!」と立ち上がり、一同喝采!

OSさんも、「私は『理論』じゃなく『実践』を創っていきたい!」と発言。

個人的に、STさんの「主義を堂々と掲げる勇気」と、OSさんの言う「実践」、この2つはポイントになってきそうだと感じました。

Gさん「まずは福島の農家にどういう思いなのか話を聞いたら?」OSさん「三里塚の農家なら紹介できるけど」 と具体的になってきたところで、残念ながらタイムアップ!

 

 みんなまだまだ言い足りないという感じでしたが、感想を聞くと

SKさん「人によって見方が違う中で、1つの運動を創っていくことの難しさを感じた。」Nさん「でも、ワーワーできることがいいよね!」

「本家」の主催者のOSさんからも「方針が生まれるのは本物の集会だと思う」と、大変有り難いお言葉をいただきました!

僕としても、非常に議論が白熱し、皆さんに熱くなってもらえたようなので、良い会になったな、と思います。たみとやさん、参加者の皆さん、ありがとうございました。次回は五輪の話もやれるといいです。色々と工夫していきたいです。

皆さん、「どっちもいい」の三浦瑠璃にならず(!?)、反原発主義を掲げ、「ワーワー文化」を根付かせていきましょう!                                                             

                                                              TG

   
   
   
 プチ労89新企画「近現代日本150年の労働者・民衆の闘いの歴史」第一回

まとめ

参加者:7人 中高年:青年=43 地域:それ以外=52

メニュー:恒例春のちらし寿司(焼き鮭、穴子かば焼き、蓮根、人参、どんこ、錦糸卵、海苔)、菜花の辛し和え

◎「近現代日本150年の労働者・民衆の闘いの歴史」第一回「ペリー来航から日清戦争まで」(「草稿」Ⅰの1の(1)~(3)レポーターなおこさん)

以下、「下書き」をレポーターの指摘とみんなの議論で追加・修正した「改訂版:草稿」です。
写真の地図は、日本の農民叛乱を押さえ朝鮮侵略するために伊藤博文らが「発明」した「日本国3点セット」(本文7ページ参照)のうち「日本は孤立した島国」ではないと網野義彦さんが著書に掲示した”さかさま地図”。逆にみると、歴史に登場する主な地名が見えます。

近現代日本の労働者・民衆の歴史第一部第一章.pdf へのリンク 

まとめ:

〇レポーター説明

・ペリーの琉球征服計画:18537月浦賀に来航する前、ペリーは4月に琉球に来航。日本の開国で琉球征服計画は実現しなかったが、この時から、アメリカは沖縄を「太平洋の要石(Keystone of Pacific Ocean、これは映画「沖縄」にも出てきたが、戦後沖縄占領時期の米軍車両のナンバープレートの表記)と考えていた。

・明治維新は「武士と豪商のクーデター」。動力は農民・町人なのに裏切った。:江戸末期から年貢と御用金に苦しめられた農民・町人は、「この幕府もう無理!」と津波のような一揆・打ちこわしを続け、武士と豪商の「年貢半分にする」という討幕の動力になった。

 しかし、裏切られた。明治政府は、1873年地租改正で年貢は減らず、共有だった山林を取り上げ、実質農民だけ徴兵、学校教育費も徴収。明治初年18729月の宮崎「農民の赤旗一揆」、187612月伊勢暴動など、「年貢半分ウソだろう」一揆、自由民権運動と結びついた地租改正反対・徴兵令反対運動が続き、「唯一の組織された武装蜂起“革命本部”」というコミューンを打ち立てた秩父困民党蜂起に結実する。

・これを抑えるために「日本国3点セット」の“発明”と朝鮮侵略開始:伊藤博文らは、天皇の統治は「歴史の事実」とした「国体」と日本は「島国」で沖縄も朝鮮もその防波堤でしかない、日本は「農業と米―瑞穂の国」で米が足りないなら(足りないことはないのに)侵略もしかたない、など「3点セット」を発明。

 そして、欧米に日本が結ばされた「不平等条約」を回復し「一等国になるため必要条件」だとして、1875年から朝鮮侵略を開始し「欧米のまねっここざる」で朝鮮と「不平等条約」を結ぶ。1894年日清戦争もその延長でしかない。

・闘い続ける朝鮮民衆:日本の侵略に対して、1882年には、朝鮮兵士と民衆の壬生(イモ)軍乱がおこり、日清戦争の時にはその原因でもあり結果でもある、甲午(カボ)農民戦争が大規模におきる。日本は40万人もの朝鮮民衆を虐殺したが、一時期、朝鮮の1/4にもなる地域でコミューンも打ち立てた経験は、朝鮮民衆運動の金字塔として、その後の労働運動・農民運動に引き継がれる。

・当時、日本の農民と朝鮮民衆は連帯できなかったが、今は動労千葉とともに私たちは韓国民主労総と連帯している。

 

〇補足―Go:

・「欧米帝国主義に追いつくために、日本の農民の収奪も朝鮮侵略もしかたなかった」のではない!:上記を踏まえて、「草稿」のはじめの題名を明治維新ではなく「朝鮮(チョソン)で始まる日本の近代」とした。今も「北朝鮮の脅威」であり、その意味でも、日本の民衆の歴史は朝鮮民衆の歴史でもあると思った。

一般に「悪辣な欧米帝国主義の植民地に日本がならないためにしかたなかった」という論調があるが、そんなことはない。

 伊藤博文は、明治維新は農民・町人の力でできたのにもかかわらず「日本では、皇室を機軸にしなければ憲法政治はできない。決して民衆の蒙議に任せるわけにはいかない」と言って明治憲法を制定した。しかし、日本の困民党コミューン、朝鮮の甲午(カボ)農民コミューンを見れば、もう少しの連帯で、「民衆の政府」はできた。

・「ペリーのお土産から始まる日本資本主義の終焉を示すのが福島原発事故」:ペリーの幕府献上品は、蒸気機関車模型と電信装置。それは、動力・電力という欧米資本主義が創り立した「エネルギー革命」の成果の実用品。そこから、日本は「欧米資本主義のまねっここざる」で、敗戦の一時期を除けば、一貫して経済成長とエネルギー消費を拡大し続けてきたが、2011年福島原発事故がその終わりを告げた。

 

〇天皇、国体の議論がにぎやか

Sk:「日本国3点セットの発明」っていうのがすごい!

Go:それ自体は、江戸時代から言われていた。伊藤博文も末席で受講し、アベも大好きな「松下村塾」の吉田松陰は、3点セットに加えて「朝鮮侵略」も言っていたらしい。それを明治憲法など制度にむりやしでっちあげたことを「発明」とした。

あと、3点セットの「島国」に対していえば、網野さんの本の「さかさま地図」を見ると、日本海がもともと内海であったこと、その意味で、日本列島は、アジア大陸の北と南を結ぶ懸け橋だと捉えられる。

Sk:以前読んだ漫画「お―い竜馬」などのイメージが強かったけど、竜馬にしても、福沢諭吉にしても、“資本家”なんだな。

Yk:江戸時代の庶民にとって天皇なんて関係なかったと思う。「大日本帝国」というその「日本」っていう言い方も、聖徳太子が中国、朝鮮を謙譲する意味で使い始めたらしい。

Mg:元号を使っているのは、今では、先進国では日本だけだし、江戸時代までも使っていなかった。

Mk:「国体」ってホントよくわからないが、日本の天皇は、欧米の王とちがって、絶対的な権力をもったこともなく、いつも使われている気がする。

Go:日本では、14世紀前半、3年だけ、後醍醐天皇っていうのが、「建武の中興」といって欧米並みの絶対権力をめざしたらしいが、その後、南北朝の動乱が続き、天皇の権威は衰退していったらしい。しかし、それを明治政府以降、「開闢(かいびゃく)以来の事実」として天皇統治の“根拠”にしたらしい。

Yk:そもそも、天皇は関西近辺を支配していただけ。

Yi:歴史、面白い!

   
   
   

 2月24日(土)
 3.1ビキニデー集会
 
   



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