2015年4月(3)

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 4月26日(日)
りんたろう亭:プチ労その60「国家と革命ーロシア革命史第一回(前史)」    

参加者:8人 中高年:青年=4:4 地域:それ以外=5:3
メニュー:春のキーマカリー(浜松から届いた手掘り竹の子と野ふき)、竹の子・独活・蓮根・新牛蒡のキンピラ

プチ労で読んだ「共産党宣言」に必ずしも明確ではない、「国が、国が」と、今、日本で問われる「国家とは何か」、それに対する「革命」って何かを考える手がかりに、マルクスを踏まえ労働者のロシア革命を実現したレーニンの「国家と革命」を読むまえおきにロシア革命史第一回(前史1848年から1903年)

...

ロシア革命史のわかりやすいリアルドキュメントを書いたトロツキーは「ロシア革命史序文」で“革命の動力”についてコメントしている。

・1917年のはじめの2ヶ月、ロシアはまだロマノフ君主制だった。人口1億5千万人の国で、この頃ボルシェビキのことを知っている者はほとんどなかったが、8ヵ月後には権力を握っていた。そのような急激な変革は歴史上に二つと見出せない。

・革命の最も疑いない特徴は、大衆が歴史上の事件に直接関与すること。

・革命的事件の動力学は、革命の始まりと終わりの間の社会の経済基盤と諸階級の社会的基層に生じる変化を持ち出すだけではまったく不十分で、革命以前にできあがっている諸階級の心理の、急激な、緊迫した、激しい変化によって直接規定される。

・社会は、実際には既存の制度を永久に与えられたものとして受け取る。何十年にもわたる野党的批判も大衆の不満にたいする安全弁かつ社会体制の安定の条件にすぎない。

・必要なのは、不満から保守主義の枷を切り離し、大衆を蜂起へ導くような、個人や党の意志と関わりのない、まったく異例な条件。

・したがって、革命期の大衆の考えや急激な変化は、人間の心理の柔軟性やうつろいやすさに由来するのではなく、反対に、その根深い保守性に由来する。

・大衆はできあがった社会改造計画によって革命を開始するのではなく、旧来のものには耐え得ないという鋭い感覚によって革命を開始する。

・政党や指導者の役割は大衆自身の政治過程の研究をもとにしてはじめて理解できる。指導組織なしには、大衆のエネルギーはピストンつきのシリンダーに注入されなかった蒸気のように発散してしまうだろう。しかし、動力をつくりだすのはやはりシリンダーでもピストンでもなく、蒸気である。

<ロシア革命史のいくつかの視点>

「根深い保守性」を持った大衆が「蒸気」をどう革命期に発していくのか?

さらに、ロシア革命の特徴として2点。

1.戦争のなかでの8割の農民の「農民戦争」と2割の労働者の「蜂起」による革命

2.ソビエト(評議会:労働者・兵士・農民の自治組織)と労働組合(ストライキ委員会)と党(大衆に問われ続けた党派闘争)の関係

今の日本との関係で2点。

1.8時間労働制の確立と「残業代ゼロ法」の日本

2.「直接には君主制を打倒」(実質は、うんざりした大衆が「ソビエトにより、勤労者の支配権―政治的民主主義を確立」トロツキー)したロシアと「戦争と天皇制」を掲げる日本

●5月24日プチ労61:ロシア革命史第2回「1905年革命」
●6月28日プチ労62:ロシア革命史代3回「1917年革命」
●7月26日プチ労63:「国家と革命」第一回

 
   
   
   
   

りんたろう亭:プチ労その60「国家と革命ーロシア革命史第一回(前史)」 ②上映動画の1

1840年代のイギリス炭鉱労働者の状況(歌は「1844年炭鉱争議のスト破り」)ーチャーチスト運動、人権宣言が出てくる(3分)




りんたろう亭:プチ労その60「国家と革命ーロシア革命史第一回(前史)」 ③上映動画の2
1871年パリコミューンは、世界の労働者に謳い継がれる歌「インターナショナル」を残した。
この歌詞の作者は、コミューンの評議員で詩人のウジェーヌ・ポティエ。彼は布地図案デザイナーでプリント布地会社経営。布地業者組合をつくり第一インターに加盟した。彼もむろんバリケードのうえで闘った。

コミューンが敗れ、同志たちが「連盟兵(フェデレ)の壁」で虐殺された後、なおもヴェルサイユ軍の弾圧がつづいた六月、 ポティエは、まだ戦火にくすぶるパリの街なかに身をひそめてこの歌を書いた。彼は、この偉大な希望の歌をもって、戦士たちに呼びかけ、はげました。 ...
なお、「インタナショナル」の曲が、音楽家ピエル・ドゥジェイテールによって作曲されたのは、一八八八年で、ポティエが死んだ翌年だった。





りんたろう亭:プチ労その60「国家と革命ーロシア革命史第一回(前史)」 ④レジメ
-文章編小冊子「プチ労版ロシア革命史」(前史)はこちら⇒プチ労版ロシア革命史3-1.pdf へのリンク

第一回 前史(1848年~1903年)

主役は、資本家(ブルジョア)と労働者(プロレタリア)。...
あと、資本家の脇に王(皇帝)とその“親戚”。労働者の横に農民。
この4人で歴史が展開する。

1.1848年 「共産党宣言」
―労働者の戦闘の旗印をはじめて高く掲げた「共産党宣言」出版―

動画: 1840年代のイギリス炭鉱労働者の状況(歌は「1844年炭鉱争議のスト破り」)ーチャーチスト運動、人権宣

2.1860年代 「農民の解放」と「ドイツの労資折り合い主義」
―資本主義の遅れたロシアの中途半端な”農奴解放”―
―ラサールの「賃金鉄則」とマルサスの「人口論」
ードイツ社会民主党の“折り合い主義”

3.1870年代 「パリコミューン」
―「労働者階級のためについに発見した政治形態」パリコミューン
ー「戦争やめろ!」立ち上がる労働者
ーコミューンの選挙
―コミューンの画期的な施策の数々
―コミューン、労働者の動力が歴史をつくる
―コミューンと農民

動画:パリコミューン(歌はパリコミューンが生んだ「インタナーショナル」)

4.1880年代 「8時間労働制」
―ロシアの経済高度成長と初の労働組合結成
―世界では「8時間労働制」の闘いとメーデー
ーロシア革命でやっと実現した「8時間労働制」と日本

5.1890年代 「政治スト」
―ロシアの労働運動の発展「政治スト」

6.20世紀初頭 「党」
―「労働者の党」とは何か? 
ー”極悪人”?レーニンの「なにをなすべきか」
ー党がなすべきこと”革命のリアリティーを充満させる”
以下次回

 4月24日(金)
4.24韓国民主労総26万人ゼネスト連帯!勝利!!きたじま!!!阿佐ヶ谷駅前集会
東京北部ユニオンたみとや分会地域団交翌日まず1歩の成果♪  
 4.24韓国民主労総26万人ゼネスト連帯!勝利!!きたじま!!!阿佐ヶ谷駅前集会

北島邦彦杉並区議選候補
「児童館を絶対なくしちゃならない!その民営化・外注化の労働者・民衆の団結を壊すという本質を徹底的に暴露し、児童館の労働者、学童クラブの民間委託先の労働者と闘う団結をつくっていきます!」


   
   
   
   
 東京北部ユニオンたみとや分会地域団交翌日まず1歩の成果♪

 4月23日(木)
 東京北部ユニオンたみとや分会:初の地域団交 
 

会員制で数十人の「保育ママ」をかかえるE社が保育報酬(月ぎめ保育で時給630円!)を数ヶ月連続で遅配。
労基署は「労基法適用外」、保育行政当局は「同社は認可対象ではないので指導できない」

...

しかし、高齢の方が多い「ママ」が多数、動揺し抗議もするなか
これは、アベをさらに増長させる労働問題。
店頭で相談を受け組合員になったたみとや常連のKさんとともに
社長と初の団交。

組合申し入れ書への「回答文書」で
「全国で数万人にもなる登録利用者のために行政の補助ももらわずに、遅れても必ずお支払いするように努力しており、”ママ”のみなさんにはボランティア精神で我慢していただいている。そのなかでKさんはビジネスライクだ」
と書いた社長は同じ主張を繰り返すが

「社会福祉労働を踏みにじるもの。遅延自体が違法。」
Kさんにまず謝罪させた。
そして、収支の開示を約束させるとともに遅延に対する明確な対応を求めた。
饒舌な社長が最後は黙った。

団交を終わったKさん「自分たちだけでいうより、組合として相当言いこめて良かった」
さらに「ボランティア精神」に我慢しがちな「ママ」を仲間にしていきたい。



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