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 11月9日(月)
 東京北部ユニオンたみとや分会
報酬遅配の続く会員制ベビーシッター会社エスク団交#9

東京北部ユニオンたみとや分会
報酬遅配の続く会員制ベビーシッター会社エスク団交#9
本日の団交は、エスク組合員が全員そろったために、社長を今まで以上に追い込めたと思う。

また、団交終了後打ち合わせでは、保育の日常の話が出され、分会書記局としても、あらためて見えてくるものがあった。「母親が、仕事が忙しいことだけでなく、精神的にも肉体的にも保育できなくなっていることを支えるための保育」も多いらしい。

...

「出張保育で、通訳の仕事をしながら母親もうつ病で、家は掃除されていなくて、とても子育てできるような環境ではないなかで、レトルト食品だけ食べさせられて栄養失調になりそうな子ども」そこでやる保育は、とても重要で、母親を励まし病を克服するためのサポートする役割も担っている。

その意味でも、エスクのやっている事業は、大切な仕事をしている。しかし、それは本来、国、行政が働く人の労働条件をきちんとした上で担うべき仕事だということも思う。それをエスクは「肩代わり」しているからといって、そこで保育する労働者をないがしろにすることは、“大切なこと”を台無しにする行為だ。

あらためて、日々のエスク組合員の労働がすごいと思ったのと同時に、それを大切にするためにユニオンはさらにやっていかなければと思った。

 
   
 11月8日(土)
  「労農同盟」と「僕は農民」(メモ)
 「労農同盟」と「僕は農民」(メモ)
11月集会の夜に「農民Aくんとの連帯」に関して、沖縄の息子から問いかけられて、「農業・農民問題」についてつらつら考えていたことを思い出したので作ったメモ全文。

労農同盟~「僕は農民」

2015.11.6

 

1.レーニンの考え方と実践

(1)  「共産党宣言」1890年ドイツ語版エンゲルス序文

「ブルジョア的所有とならんでと土地の大半が農民の共有財産になっているロシアで、もし、ロシア革命が西ヨーロッパのプロレタリア革命の合図となり、その結果、両者が互いに補い合うならば、ロシアの土地共有制(農民共同体=オプシチナ)は共産主義的発展の出発点となりうる。」

(2)  レーニン 「帝国主義論 1916年」

農民についての具体的記述は、「4.資本の輸出」の冒頭で、「農業を発展させること、住民大衆の生活水準を引き上げることができるなら、資本の過剰は問題でなくなるが、そのときは資本主義は資本主義でなくなる」とあるのみで、三条さん(注)の言うような「農民の分解をとどめる」等の記述は明示的にはないが、「独占が自由競争をとどめて小ブルの解消を止める」ということから類推はできる。

(注)ブログ週間三里塚「農民が解放される条件を求めて① 農民学習会 労農同盟論を学ぶ 」

(3)  ロシア革命の実際の推移とレーニンの認識・行動

・プチ労版「ロシア革命史」をやるにあたって辿ったところからいえば、レーニンが「ブルジョア革命は農民とともにプロレタリアが担うべき」と言ったのは、1905年革命「血の日曜日」の直後。

19054月ロンドンで開いたボルシェビキ第三回大会で決めた方針は「血の日曜日の請願項目は、ほぼ1792年のフランス革命で実現済みの内容であり、この革命はブルジョア民主主義革命。しかし、請願書の冒頭にあるように、大衆は、専制の圧力で窒息し、資本主義の発展の“不足”で苦しんでいる。だから、この革命は、専制を完全に取り除くことを恐れるブルジョアよりも、プロレタリアと農民に極度に有利で無条件に必要なもの。プロレタリアは農民と同盟し、この革命を最後まで遂行すべき」(プチ労版「ロシア革命史」36-37ページ)

・カーメネフやスターリンなどが「気が違ったか?」と言うほど、これを強烈に繰り返したのが、19172月革命直後のレーニン「4月テーゼ」。直前に「帝国主義論」など理論的に整理したこともあろうが、それは、「農民にとって、ナロードニキの学生よりも、罷業者=Strikerは仲間だった」(同38ページ)というこの間の実践の総括、直観にも励まされたものだった。その後、農民たちが全国で蜂起し、「ボルシェビキをくれ!」というまでの経緯は、同64-65ページ参照。

・そして、191710月革命直後、ただちに「土地の布告」。エスエルは「俺たちの案をボルシェビキは盗んだ」と言ったが、実行したのは、この革命とボルシェビキだった。

・農民の熱狂的歓迎で終わった10月のあと、反革命のなかで食料恐慌。労働者部隊による食料徴発と続く中で「農民との闘争」も経て、1920年にレーニンは「農民とは時間をかけて説得し、その“ブルジョア化”と闘っていく必要がある」(同85ページ)と書く。そこには、“土地を持った農民はほっとくとブルジョア化する”という認識があり、その意味で、レーニンがマルクスの「農民は階層分化する」というテーゼを変えたとは言えない。

2. プチ労版「ロシア革命史」と今の日本の農業・農民

(1) 食料輸入8割で世界の農民に依存する日本

・プチ労版「ロシア革命史」をやるにあたって、100年前のロシア人口の8から9割が農民だったことを意識した。「今の日本には農民はいない、だからちがう?」しかし、まとめとしては、「世界一の食料輸入国として、世界の農民に依存。一方、国内では、零細な農民が必死に“我々の土と土でできたものを守ってくれている」と書いた。

・そして、先進資本主義国の農民は、規模の大小はあれ、階層分化せず、家族経営。一方、後進資本主義国では、南米やアジアでのプランテーション的農業で、子どもを含めた多くの農業労働者が低賃金・劣悪な労働環境で働いている。

・食料供給としては、現在、世界70億人が十分食える生産水準なのに、モンサントのような食料メジャー資本が種などの生産と流通を牛耳るなかで、日本のような輸入国で輸入の2~3割が廃棄される一方、世界では、餓死者が日々出ている構造。

(2) 日本農業と農家の実相

・そういうなかで、農民はどう立ち上がるのか? 農漁協系金融機関で30年間、「疎外」された日本の農業と農民の実相を見ようとしてきた。

・ちなみに「疎外」というのは、「国に保護され生産性向上の努力もしないのに立派な御殿に住んで貯金もあり」、「抑圧」というイメージがない一方、いくら生産の努力を重ねても「とにかく安い輸入」と流通資本に牛耳られ、後継者もいない、自分で生産したものが自分のものではない「空しさ」のイメージ。

・そのなかで見えてきたものは、資本主義化の無理。やはり、その理由は、「天候、自然条件はコントロールしきれない」ことと、その裏返しでもあるが、「そういう自然に働きかけ、共存しながら、人間の生存と成長に必要なうまいものを創る、最高に人間の知恵を発揮するべき労働」だということ。

・「日本農業は零細でコストが高い。大規模化・資本主義化すべき」と絶えず言われながら、実際には、「輸入戦略」がとられた。 戦後、アメリカ余剰小麦と脱脂粉乳で学校給食。以来、パン食普及で米消費量は一貫して減少する一方、食料輸入は一貫して拡大。1990年代にタイで一番の財閥は、日本向け焼き鳥用冷凍加工品業で、タイ人でもなく中国本土送金額第一位の華僑だった。インドネシアでは、日本向けエビ養殖業が一面の水田をつぶして米は輸入している。2000年代には、低温貯蔵技術の発達で三井物産が中国瀋陽で指導した長ネギを収穫翌日に茨城県鹿島港から輸入開始。東京向け露地野菜として長ネギ産地だった近隣農家に打撃。盛んに余剰農産物を売りつけたがるアメリカでは、遺伝子組み換え種子を使用した収量増加の結果、年々、土地の大収奪が起きている。

・そのなかで、農家戸数激減。「国土開発」で多くの農地が安く収用され、その資金は農業に再投資されず農家の農協貯金は100兆円。それを運用する農林中央金庫は、日本一の「ヘッジファンド」「世界5大投資家のひとつ」とも言われている。

・一方、日本の農民、漁師は、「自然に働きかけ、共存しながら、人間の生存と成長に必要なうまいものを創る、最高に人間の知恵を発揮するべき労働」を営々と続けている。

・戦後すぐ、泳ぐようにして米を栽培していた新潟信濃川河口は米の増産要請で一大土地改良により、コシヒカリで有名な大産地となったが、その技術で中国黒竜江省の土地改良を一貫して指導。
・懸命にりんごの品質向上につとめる青森のりんご農家でもある農協組合長は、毎週、東京・大阪の即売会に飛び回る一方、中国の格差の象徴である上海へ富裕層向けに1個4千円のりんごを売りに行っている。原発事故で破壊されたが、桃の産地であった福島でも、毎年、交配で100種類の新種を産みだしていた。

・茨城県で鰯はえ縄漁の漁師「I丸」は、「俺がどれだけ毎日気象を研究しデータを見続けているかわかるか」と言って、取れなくなりつつあるといわれる鰯漁で県下企業のなかで10位以内の売り上げを揚げていた。九十九里沿岸の大振りのハマグリは料亭でよく使われるが、その品質・資源を維持するために、週1回漁協所属漁師が全隻一列に並んで一時間だけに限定して漁をしている。

・また、伊方原発で圧殺されそうな佐多岬の先端にある佐多漁協では、早い潮流(向かい側は大分”関さば、関アジ“が有名)のなかでいかに傷つけずに一本釣りするかの訓練を繰り返しながら、東京の百貨店に直送していた。
・夕張メロンに続いてマスクメロン産地として有名な茨城県旭村では、「年収3千万でメロン御殿を建てて後継者もいる」といわれるが、毎年夏前からの気象の推移によって、日々数時間置きのビニールハウスの温度調節の工夫で成り立っている。

・沖縄で急な斜面にパイナップルを栽培しているように、ミカンの大産地愛媛県は、平地も少なく、戦前、二男以下はアメリカに帆かけ船で出稼ぎ移民に行っていたことで有名な貧しさを克服するために、急斜面でのミカン栽培を始めた。需給調節のためにジュースで販売するために「ポンジュース」の工場も協同で始め、協同組合として世界の柑橘類を研究する研究所も持っている。広島の牡蠣養殖漁師は、流れ込む河川の水の汚染を防ぐために共同で植林をしている。

(3) 「農地は生産手段」であると同時に「生き物」

・共産党宣言の冒頭「これまでのあらゆる社会の歴史は階級闘争の歴史」の直後にエンゲルスがつけた注釈は、「社会的生産の諸手段の所有者で賃労働者の雇用者がブルジョアジー。プロレタリアートは自分の生産手段を持たないので生きるために労働力を売る。」。

・レーニンが言うように「土地を分け与えられた農民はほっとくとブルジョア化する」のか?「大半が賃労働者の雇用者ではないが、農地という生産手段を持っている」からか。レーニンの時代、土地分与直後から、こそこそ農地を買い集め富農が出現し、食料供出を拒む富農との闘争が始まった。

・戦後日本では、農地改革以来、農家は「保守的で、自民党の基盤」だと言われてきた。それは、先進主義国が、家族経営での農業を維持し、軒並み、「農業保護」を競う中で、日本の農民も「国の保護政策」を求め、気にせざるを得ない状況にあるから。

・「先祖伝来の土地を守るという意識が保守的」という見方もあるが、「国の保護政策」は、先進資本主義国とともに日本も「高度成長」にほぼ目途をつけた1961年に制定された農業基本法以来、「生かさず殺さず」の政策である。さらに、今回、TPPで、「死んでもいい」となる。それは、戦争のための成田空港滑走路拡充にともない、空港反対同盟市東さんの農地を「農地の維持ためにあった農地法」をも踏み破って強奪しようとするのと軌を一にするもの。

・「農業の収益性が低い」から、高度成長以来の農地収用自体も「安いもの」だった。こうなると、農地が「生産手段」と言っても、零細な規模であり、資本主義的に「収益を生む価値の高い生産手段」では、もう今はない。

・一方、農地という土地は、資本主義で言う「収益により、いつでも廃棄し、新たに構築し直せる設備や建物」などの生産手段ではなく、「先祖伝来、大事に育ててきた生き物」。水田を1年休耕して放置しススキが生えると、元に戻すのだけでも数年以上かかる。畑で毎年野菜を育てるために、毎年、土を育て続けなければならない。さらに、「風の谷のナウシカ」ではないが、いわずもがな、自然農法を貫いていた佐藤幸子さんが言うように、福島では、除染をしても放射能を地面から数メートル下にしっかり抱え込んで「土は死んだ」。

・戦後50年で壊滅的に減少した260万農民、250万戸の農家の高齢化率は60%超。老人二人あるいは一人になった米農家で、田植えと収穫の時に親戚や知人に土日だけ手伝ってもらって、年収額100万円程度得る農家も多い。「彼らに何も工夫も期待できない」? 彼らの土地を引き受ける比較的若い農民による営農集団も少なからず増えているが、企業として成功するには、生産性が穀物の価格に比して釣り合わず、農業政策の制約、土地の出し手の「保守性」などにより土地が集まらないことなど、制約が多い状況。

・一方、アートとともに、有機や無農薬の作物を創ろうとする若者たちがいる。種子(F1―三里塚萩原さんたちの問題意識でもあるようだが)自体から土とともにノニジュースも使って作り直そうとする、過去に三里塚闘争支援をしていた人たちなどがいる。

・見てきたように、農業に必死に取り組む人々の側から見た日本農業の希望はある。しかし、政府がいう「TPPを期に日本の農作物を世界に輸出するように構造改革する」などは、資本主義の延命のために彼らの実相のいいとこどりだけをする噴飯物である。

3. Aくんの「僕は農民」について

・Aくんの詳細についてはわからないが、彼の「僕は農民」という言葉は、いい言葉だと思う。

・そこに「自然に働きかけ、共存しながら、人間の生存と成長に必要なうまいものを創る、最高に人間の知恵を発揮するべき労働」をしていこうとするAくんが感じられるから。

・バス労働組合の経験を踏まえて辺野古基地阻止闘争の先頭に立った金城裕治さんのマンゴー農園を手伝っていると、いわずもがなだろうが、マンゴーを育てる土そのものも「生き物」。

・農業をやり、コントロールしきれない自然の条件のもとで土と向き合う時、「栄養も味わいもなく危険でもいい、土を汚してもいいからたくさん生産しろ」というような性急さに対しては「保守的」になるだろうと思う。そのうえで、「市場価格よりも圧倒的に低い国家買取価格での食料徴発に対して、ロシア革命後の1920年農民の大暴動が起こり、NEP(新経済政策)導入の契機となった」(「レーニンと労働組合」)。

・「生き物である土を相手にする」ということは、「ポスト資本主義で圧倒的に増えたサービス労働」にも似ている。それぞれの自然を持っていてなかなか思うとおりにはならない人を相手にする外食・ショップでの販売労働者、介護・医療労働者、保育労働者、教育労働者、コールセンター労働者、ひいては、人の髪を”整形”する理髪・美容労働者。いずれも「資本論」でいう生産過程にはなく、「価値を生む労働なのかどうか」長らく議論されてきている範疇。ちなみに、その議論のなかで、鉄道労働者は、商品をA地点からB地点に運ぶので、「その商品の価値は変わるので原論的に価値を生む労働」とされている。しかし、プチ労では、「鉄道労働者とともに、これらのサービス労働者も“人の自然”にも働きかけて今までと異なる”自然を創りだすという価値を生むからこそ搾取がある」とした。

・資本主義のもとで、「農地が生産手段」であることの“意味のなさ”を徹底的に暴露しつつ、同盟して闘っていくときに、「革命は何を実現するのか。革命後に土地を国有化して、愛で育ててきたかわいい土地をとられるのか」という想定される疑問に対して、「革命後の未来」の議論も必要だが、本来、社会での共有は、農民共同体が持っていた共有地にも近いイメージかなと思うし、まずは、「土が生き物」と言うこと自体を共有することかなと思う。

・エンゲルスは、「共産党宣言」が書かれる2か月前に、その草稿として、「共産主義の原理」を問答形式で書いた。その「問20:ブルジョア的私的所有を最終的に取り除いた結果はどうなるか?」のなかで、知的労働と肉体労働の「分業の廃止」が共産主義の最終目的だということを踏まえて、「農業も工業も経営できるように、人間の能力も同じように発達しなければならないので、階級の存在の原因である分業がなくなり、階級対立が余計であるばかりでなく、新しい秩序と両立しないものになる」と書いたが、工場経営者であった彼にも、農業についてのレスペクトがある。


 11月7日(土)
 11.1労働者集会報告@たみとや(まとめ動画)
 




   

 11月6日(金)
 東京北部ユニオンアミーユ支部団交#12

東京北部ユニオンアミーユ支部団交#12
仲間も増えて、川崎アミーユ問題追及、「休憩室はある」なんていうウソの回答の撤回、服薬管理問題について経営はなにも現場を知らないことの暴露、等さらに追い込んだ!



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