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9月11日(日)

新宿原発やめろデモ1万人!”警察ビビリズム凶暴化”不当逮捕12人糾弾!!NAZEN隊列1千人へ!!!

★9・11★反原発・反基地・反失業デモ★IN・OKINAWA★

NAZEN隊列1千人へ!!!

↑PHOTO by Zenshin-Solidarity

Community & Teens↓

 

必見:9 11-新宿・原発やめろデモ-静かに中央公園に移動-20110911:東京北部ユニオン街分会から転載

 

↓Photo by NAZEN brog &法大ブログ

↓Photo by Tamitoya

 

 

 

 

 

 

 

 

”警察ビビリズム凶暴化”不当逮捕12人糾弾!!

デモコースを金曜夕方に変更させたうえに

2011.9.11新宿反原発デモ 警察のすさまじい暴力・不当逮捕の瞬間(デモ先頭)

 

 

 

9/11反原発新宿デモの逮捕動画!(デモ最後尾:法大弾圧を許さない法大生の会から転載)

 

 

アルタ前広場地下の不当警備

 

★9・11★反原発・反基地・反失業デモ★IN・OKINAWA★

うるまユニオンブログから転載

9月9日(金)

9.11新宿に集まろう!デモマップ

タメになる!関生(2):8.27動労千葉労働学校:関生武委員長講演(記録後半)

9.6沖縄にチラシ付きでプレゼント着きました

NAZEN 幟旗

タメになる関生(2):8.27動労千葉労働学校:関生武委員長講演(記録後半)

タメになる!関生:8.27動労千葉労働学校:関生支部闘いの歴史(記録前半)から続く

●1980年代:資本が延命に必死、弾圧強化のなかで関生運動飛躍と反撃

*実利と信義を柱に協同組合の制度活用など産業政策発展:1977年、工業組合の第一次構造改善事業。共産党は「独占資本が中小企業の支配・収奪のための仕組み」といって反対したが、事業の「留意事項:労働者の福祉の増進」を活用して「雇用確保を第一義とする」ことを求めた。独占資本からは拡販の装置として協同組合を利用。労組からは雇用確保・中小企業の自立としての協同組合。その「せめぎ合い」。
  1. それで、1979年、大阪兵庫生コン工業組合と雇用協定。1980年、集団交渉により、年休104日制、未組織労働者にも適用する雇用・福祉の産業別協定書実現。1982年、設備投資への規制関与・退職金50%の組合管理・100億円による総合雇用・福祉基金制度など32項目の労働協約合意。セメント値上げ反対運動、生コン売り価格の8000円から13800円へのアップ安定など、「中小企業に実利あり」
  2. 関生飛躍:これで、毎月100人以上組合員が増え、1700人が1982年には3500人に。名古屋・東京に業種別運動が拡大し、タクシー・バス・トラック・清掃などの産業労働者が結集。このためには交渉だけでなく闘争があった。設備投資規制はイタリアの労働運動がヒントだが、1979年の「かるも島プラント新設阻止闘争」。黒幕の竹中の仕事をしない、住友セメントの不買運動。プラントは一切稼働せず全面勝利。
  3. 弾圧強化:この設備投資への関与や不買運動により、日経連会長大槻文平が「関生の運動は資本主義の根幹に触れる。箱根の山は越させない」と言い、関生弾圧は所轄から最高裁・法務省の管轄になり、30数名逮捕など弾圧強化。
  4. さらに、1982年12月、共産党が赤旗に「関生幹部に不正」のでっちあげ声明。共産党と決別。500人(赤旗販売部数2500部)の共産党員組合員のうち99%が共産党脱退。しかし、組合員は3500人のうち1000人が共産党系組合へ、1000人が組合にもうはいらない、残ったのは1600人。

●関生の反撃:闘争で巻き返し

  1. 1983年:衆議員選挙。近畿2府4県共産党府委員会への抗議行動・街宣で、大阪府委員長落選。
  2. 1984年:連帯ユニオン結成
  3. 1986年:社会党特別対策委員会設立。セメントメーカー100億円ペナルティ
  4. アウト社・輸入業者と共闘。10年でセメントメーカー1兆3千億円実損。
  5. 大阪帝国ホテル建設で、三菱の独占的事業に水道・道路使用など抗議。中小企業半分参入。
  6. 1990年:本四架橋建設での土地強制収用反対で砂利業者と共闘。500台のトラックデモなどで白紙撤回。
  7. 賃上げ:1990年25300円、1991年35000円、1992年35000円実現。この間51社倒産するが、労組のある企業は「債権凍結・自主再建・稼働」。「会社は潰れても組合は残る」企業は「労組との対決から協力の必要性」

●1990年代以降:労組間共闘と中小企業との共闘本格化⇒「建設独占をゆるがす139日」

  1. 闘いのなかで道 
  2. 1992年:3労組(全港湾大阪・生コン産労・関生)で関西生コン産業政策協議会結成。
  3. 1994年:大阪府下5協同組合が統合し大阪広域生コン協同組合スタート。集団交渉再開。初代広域協組理事長はゼネコン・商社との関係で「これからはお願いでなく闘う立場に立つ」
  4. 2003年:関生50周年記念シンポ開催。労使協同で、歴史編集・学習・共同会館建設。アウト企業の加入促進。「過去をしっかり総括し学ばなければ失敗を繰り返す」
  5. 2005年:アウト企業17社の加入の動きが出た時、5次にわたる弾圧。委員長逮捕。2006年11月まで長期勾留。その間「建交労の時代」で、賃上げゼロ・セメントへの過剰サービス・生コン価格引き下げ・セメント価格3回引き上げ・日々雇用化。「一面共存、一面共闘」
  6. 2006年12月:徳之島大相撲等で反撃態勢強化。
  7. 2009年春闘:阪神地区生コン協同組合50社結集で賃上げ15000円。協同組合を交渉窓口としセメントの一方的値上げ阻止、東京が広域協同組合の人事を決めない、など12項目妥結。
  8. 中小企業との団結には「対話と圧力」対話しながら、過積載、品質、粉塵とかの合法的問題で圧力をかける。

*「このままいったら各社倒産する」現状認識から、広域協同組合は2010年4月から生コン価格1立方メートル当たり18000円を打ち出す。こういう中小企業の大企業への要求実現を通じて労働者の賃上げを実現しようということ。2010年6月27日決起集会。7月2日から4カ月半のストライキでゼネコンに値上げを認めさせた。「建設独占をゆるがす139日」

 

●総括と課題

  1. 闘う中で労使協調路線を打破した。中小企業との統一戦線は、闘う主体がしっかりしないと相手側の虜になる。「歴史に学ぶ」
  2. 「今の時代認識=チャンス」と見ないものは労働運動をやる資格なし。
  3. もっと社会性のある労働運動にしていきたい。「生産点だけでなく街かどでみえる労働運動」

*「別に関生だけがすごいんじゃない。自分たちが世の中変えたいと思う人は、どこかで一同に会して、労働者の怒りをぶつけたら、面白いな、やりませんかっていう。ただ、組織をもっともっと広げんとやっぱり駄目やと思います」(組合員座談会発言)

9.6沖縄にチラシ付きでプレゼント着きました

「雇い止め撤回!」byゴーカイジャー

三里塚南瓜とじゃがいものチキンロースト

ボンゴレ

頑張る向日葵

中華粥:三里塚南瓜入り

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