たみとや日誌

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6月21日(月)
りんたろう亭:Thank you for Father's day Dinner

りんたろう亭:Thank you for Father's day Dinner

トルコ風ラザニアbyTamitoya

ラテン風豆乳スープbyAnna

ピーナッツ味噌サラダbyTmoshoya

6月20日(日)

りんたろう亭:Active-Hiyokoトーク会その3

中国スト拡大 トヨタ工場が停止、日産関連でも初

ストの背景ー「農民工」実は「学生扱い」名古屋の下請けと同じ

カメラマンSAKA-TAKU登場

りんたろう亭:Active-Hiyokoトーク会その3 蒸し暑い日には、冷製パスタ3種↓No1.生トマトソース

No2.明太子とシーフード

No3.キムチとおくらとシーチキン

賃労働と資本:「労働と労働力はちがう」「価格を決定するのは結局労働力の再生産費」「生産の無秩序状態は今の新自由主義」

後半は「どんな未来をつくるか、”色々”何をするかの木」作成開始。「私も書くわ?」AYO

いろいろ「寄り合い」状態。

次回は6月26日

中国スト拡大 トヨタ工場が停止、日産関連でも初:

ストの背景ー「農民工」実は「学生扱い」名古屋の下請けと同じ

●中国での日系自動車部品メーカーでのストライキがさらに拡大している。トヨタ自動車は18日、系列部品メーカーのストの影響で部品が調達できなくなり、天津市にある完成車工場の操業を停止した。

 同市内にあるグループの豊田合成の工場で17日からストが起きた。内外装の樹脂製品を製造しているが、物流部門の従業員約40人が賃上げを要求し、製造部門の一部従業員も加わった。労使協議が行われているが、18日も操業ストップしている。豊田合成では別の部品工場でも15日にストが起きていた。完成車工場の停止は、ホンダに続き、トヨタで2社目。

 また、日本プラスト(静岡県富士宮市)は18日、日産自動車やホンダにハンドルなどを供給している中国広東省中山市の工場で17日から、ストが続いていることを明らかにした。

●しかしなぜ、日本企業からストライキの波が始まったのか? それには理由がある。あの本田の(そしてトヨタの)ストライキを闘った多くの若者たちは、実は身分は学生であり、「実習生」なのである。?

これはどういうことか? 実は本田もトヨタも、中国の労働法などの法律をくぐるために、農民工で都市に入ってきた若者たちを、工場と関連のある「学校」に入学させて「学生」にし、実習生として働かせている。つまり彼らは労働者ではなく学生であるから、労働法の対象外になるというわけである。

そして労働者としての権利を奪われた労働を強制されていた。しかも彼らは、「サボタージュやストライキ、(抗議)集会などをしない。もしした場合は、会社による退学処分を自ら受け入れます」という誓約書を書かされており、本田経営の悪質さを示して余りある。

彼らが受け取っていた平均1500元という賃金は、そもそも高い賃金とはいえない上に、結局は寮の入居費などでピンはねされ、本来の金額以下の、およそ生活できない状況に追い込まれていた。

日本でしばしば中国から来た労働者が「研修生」として、企業によって低賃金での奴隷労働を強制され、寮費などをピンはねされている。この日本国内でやっていた違法労働を、本田もトヨタも、中国の工場で大規模に展開していたのだ。

6月19日(土)
労働学校:反合理化闘争ーVIVA!労働運動!

船橋事故と反合理化・運転保安闘争の確立★

○1972年3月船橋事故が発生。列車追突事故。重軽傷632名。当局は高石運転士に事故責任を押し付け、警察へ引き渡し不当勾留。動労千葉は4月3日から25日間の順法闘争に突入。

船橋事故の直接的、根本的原因は、日がたつにつれ、その全貌が明らかになってきた。商業新聞ですら次のように報道したのである。「国鉄本社運転区のエリート幹部も停電時のATSの扱いを知らなかった」(読売)「ナゾの停電」(千葉日報)「架線は停電せず、信号機なしの状態」(朝日)。

単に総武線のみの問題ではなかった。合理化・過密ダイヤとスピードアップなどによって、新幹線においてすらレールや架線等々の極度の消耗、車両故障が多発し、いつどこでも大惨事が起こるかわからない状態であった。こうした恐るべき事態をつくりだしたものこそ国鉄再建10ケ年計画=大合理化攻撃であった。

9月には不当起訴に対して総武線300本運休の順法闘争で業務上事故による起訴、それによる刑事休職発令」を阻止した。

事故闘争の勝利は大きかった。本部指示の闘いではない。始めから終りまで自ら企画し組織した闘い。

鉄道労働者にとって、安全は思想であり哲学である。ここをとらえるとき、反合理化闘争は国鉄闘争の核心的闘いとなる。(動労千葉労働学校増田講師)

○船橋闘争の団結には前段がある。68年の時の滝口組合員の解雇撤回。62年の三河島事故、63年の鶴見事故に対して、全国青年部が立ち上がったものの、結局「事故は闘いにならない」と否定した。68年の滝口さんの時も本部は1票差で「闘わない」と否決。「冗談じゃない」と組合員ひとりひとり「滝口くんを守る会」への賛同を得ていって勝った。このとき、なんとなく「闘おう」となっていたら、今の動労千葉はない。

1047人の和解も同じ。15人だけ。ここから、「本部の反対で形を作れた」今までの運動のやり方を変えて、労働運動を下から作りあげていく。原点。(動労千葉田中委員長)

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