たみとや日誌

2010年5月(1)

2010年4月(8)へ2010年5月(2)へ

日誌目次へ戻る

リンク(街、とみしょうや、うるまユニオン、ピースアクションなど)のページはこちら

詳細が↑をクリック

5月10日(月)

たみとや:Martan「5.25出版フリーランス・デモ」

ギリシャの「財政危機」は公務員労働者のせいじゃない(おまけ:Protest dogs in Greek & Japan)

D-TV NEWS 012 渋谷区役所地下駐車場問題:「次のステップ」の実態は?(動画)

Martan登場:フリーランス・デモに賛同(公式ブログは⇒をクリック)

AYOとボタンの世界

特製ボロネーズ

特製玄米おにぎり

ギリシャの「財政危機」は公務員労働者のせいじゃない

(おまけ:Protest dogs in Greek & Japan)

The Greek Protest Dog

The dog stood guard over a line of protesters in December when students took to the streets to protest against a plan for policing at universities

The Japan Protest Dog

5月2日野宿者メーデーのりんたろう

ギリシャ問題、根は深く解決には時間(楽天投信投資顧問CEO兼最高運用責任者大島和隆氏)

混乱の背景をどうみるか。
   「ギリシャ問題をきっかけとした欧州債務危機の表面化と、欧州通貨統合(ユーロ)という経済的な大実験のほころびの表面化に他ならない」
  「ドイツのように近代的な輸出産業を抱えて経済的に反映する国と、主として観光産業に頼るギリシャのような国が一緒になって通貨統合をする一方で、財政政策は各国の都合に合わせるという矛盾が収拾のつかない状況にまで追い込まれていたことを直視する段階に来たということだ」

ギリシャ「700ユーロ世代」の反乱(ヴァリア・カイマキジャーナリストル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2009年1月号:抜粋)

ギリシャでは、弾圧行為に対して統一戦線が結成され、右派政権の基盤を揺るがした。この戦線の先頭には、年端のいかない若年世代がいた。もっともなことだ。高校生活は勉強漬けの毎日で、その第一の目的は大学に合格することだ。大学入試は厳しく、すでに12歳から準備が始まる。首尾よく大学に入れても、卒業後は、月給700ユーロの職にありつければ良い方だという現実に直面する。

 ギリシャには、こうした「700ユーロ世代」がかなり前から存在する。彼らの一部は、「ジェネレーション700」または「G700」と称する団体を結成して、自分たちの意見の表明や、無料の法律相談の提供といった活動に取り組んでいる。というのも、700ユーロを稼ぐ「チャンス」に恵まれた者も、雇用形態は個人請負でしかないからだ。有期雇用でさえもギリシャでは例外的だ。有期雇用には、フランスと同じように、社会保障やボーナス、解雇手当が伴うからだ。公共機関にも多い請負契約なら、労働法の埒外である。彼らの状況は「不安定な仕事」どころか、労働者の「レンタル」だとさえ言われている。

今や、ギリシャだけの問題ではない。ギリシャの運動は国外への「輸出」に成功した。というか、他の国々の運動と同調した。そこにはもっともな理由がある。第二次世界大戦後初めて、自分の両親より良い生活を望めない世代が出現した。それは、ギリシャだけの現象というにはほど遠い。

5月9日(日)

うるまユニオンブログから★5・15沖縄集会に向けて奮闘中!!

5月18日(火:国民投票法施行日)裁判員制度にとどめを!全国集会へ

「現代の赤紙」をみんなの声で廃止に追い込もう!!:たみとやQ&A開始

うるまユニオンブログから★5・15沖縄集会に向けて奮闘中!!

5・15沖縄集会に向けて沖縄の闘いの歴史を調べています。そうすると非常に貴重な内容が出てきました。

いま、私達は「労働者の力で新基地建設阻止・基地を撤去しよう」と訴えています。
その私たち沖縄の闘いの中味の原点を作り出した闘いが沖縄が本土復帰前に基地労働者で結成されていた全軍労の闘いです。特に60年代の全軍労牧港支部青年部の闘いは今の私達に継承されてしかるべき内容を持った闘いでした。(全軍労は63年に結成)

【当時の基地労働者が語った内容です。↓↓】

  私は青春時代を基地労働者全体の利益のためにささげてきたと自負している。当時、ウチナーンチュの労働者は例えば給料でも、一番高いのが兵隊で、その次はフィリピン人で、その次は本土の人間で、われわれの給料は、それは安いものだった。賃金だけでなく労働条件や様々な権利でも、何もなかった。
基地に就職したてのころで、忘れることができないのは職場で、米兵によるレイプがあったことだ。今考えてみると、賃金のベースアップとか労働条件もさることながら、このような非人間的なあつかいにたいする、「ウチナーンチュがなめられてたまるか」という気持ちだった。基地労働者が、一人ひとりバラバラに米軍に相対していたら、それこそレイプされても何も言えない。そうした惨めな状況に対して、労働者が労働組合をつくり団結して、自分を守り、みんなを守ることがどんなに大切なことかを身にしみて感じた。全軍労にいると、ウチナーンチュは人間として米軍と対等になれた。全軍労の組合員であることが、本当に誇りに思えて一生懸命組合活動をやった。まさに全軍労は「私の青春時代」そのものだった。そして賃金闘争、職場の労働条件の改善、米軍の基地労働者に対する非人間的あつかいに対する人権を守る闘い、布令の撤廃、解雇撤回の闘い、毎日毎日が闘いだった。「血と汗で」云々という言葉があるが、全軍労の闘いは、文字通りそういうものだった。

  米軍は私たちの闘いに対して、時には銃剣を向け、銃を発砲したこともあった。殺されるかもしれないと、心底恐怖で足がすくんだこともあった。こうした青春時代のことは、私ひとりがやったのではない。みんな闘ったのだ。今日の基地労働者の「待遇」は、全部、こうした「血と汗」で闘いとったものなのである。

この内容は5・15集会の中でもっと詳しく基調が用意されています。
ぜひ、5・15は沖縄に来て闘おう!!

5月18日(火:国民投票法施行日)裁判員制度にとどめを!全国集会へ

「現代の赤紙」をみんなの声で廃止に追い込もう!!

たみとやQ&A

5月8日(土)

目黒ピースアクション初の「寄り合い」”奪い合うのか、分け合うのか?”

おにぎりが戦争のはじまりー野宿者の叫びを聞きとれ!

〜”Diversidad & Igualdad”(多様性と等しさ:サパティスタの宣言)〜

とみしょうやブログから:5月8日初の寄り合い@りんたろう亭

「寄り合い」の動画:青年バイオリニスト

受付

カリー3種

託児スペース

喫煙スペース

ターメリック・レーズンご飯

グリーンピースご飯

本格インドチキンカリー

本格インドチャナ豆カリー

薬味3種

おいしい(*^_^*)たち↓

Pohoto by Tomishoya

とみしょうやブログから:5月8日初の寄り合い@りんたろう亭

テーマは「奪い合うのか、分け合うのか」野宿者の追い出し、「住」の問題、人を棄てる世の中。

渋谷区で野宿者支援を続けるニレハラさんのお話を軸に、美味しいカレーをつつきながら、色んな年代のそれぞれの立場から世を語り合う、という「真面目」なイベント☆

@りんたろう亭にて、25名が参加、熱いトークも展開されて「面白い」一夜となりました。

大学生、学校教諭、福祉労働者、フリーライター、自営業者、アーティスト、ミュージシャン、キャバクラ勤務、宗教者、出版社勤務、年金生活者、フリーター、大手企業勤務、事務労働者、労組専従、幼児、反戦犬、などなど。


野宿者、ホームレスの方々、どういうふうに考えるのか。
働けない?
仕事を選んでいるんじゃないか?
いやいや、実際は「並び」の仕事などで忙しい。
必死に働いているが、暮らしていけない。
じゃあ、システムだけが悪いのか?
いやいや、野宿者を生み出すこの世の中自体どうにかしないといけないんじゃないか??
ゴールはどこなのか?
人が人らしく生きられること。
革命?
じぶんの頭で考えられるちから。
だから、「寄り合い」。
次回は、沖縄、辺野古?


引き続き違う角度=テーマからシリーズで隔月くらいで企画する予定です☆
世の中を面白くしたいひと、
まじめに熱く語らいたいひと、
個々のテーマに興味を持たれた方、
ぜひご参加ください★

「寄り合い」の動画:青年バイオリニスト


5月6日(木)

「復帰」38年 5.15沖縄集会に賛同します!

「今こそ”沖縄にもどこにも基地はいらない”と大きい声で言おう!沖縄に基地があるかぎり、働く人を大切にする世界にはならない」たみとや&りんたろうSHOBO

うるまユニオンブログから★安保粉砕か否かが問われている。(東北講演C)

新作:アスパラガスとトマトのナムル

「復帰」38年 5.15沖縄集会に賛同します!

「今こそ”沖縄にもどこにも基地はいらない”と大きい声で言おう!沖縄に基地があるかぎり、働く人を大切にする世界にはならない」たみとや&りんたろうSHOBO

「復帰」38年 5.15沖縄集会

たたかう労働組合を、私たちの力で甦らせよう!

国鉄1047名解雇撤回、合理化絶対反対・検修外注化絶対阻止!

日米安保を粉砕し、沖縄から全ての基地を撤去しよう!

日時 5月15日(土)午後6時から 

場所 那覇市民会館中ホール(2階)

★国際通りデモ 午後3時から県庁前広場出発

主催 「復帰」38年 5.15沖縄集会実行委員会[沖縄労働組合交流センター/富田沙織(うるまユニオン委員長)/富田晋(うるまユニオン副委員長)/田上典生(うるまユニオン書記長)/野中香(民間パート労働者)/宮城盛光(北中城村議)

連絡先 090−4588−0005(沖縄労働組合交流センター)

うるまユニオンブログから★安保粉砕か否かが問われている。(東北講演C)

★安保粉砕か否かが問われている。
  百万のニュースで西川さんが言ってらっしゃいましたが社民党党首福島瑞穂が「自衛隊は違法でない」と言っています。
  毎日の新聞紙面では「県外だ国外だ」と言っています。いま、全ての勢力が安保を前提に話しています。
  問題は県内か県外・国外かではありません。安保という労働者、学生を侵略戦争へと巻き込む社会のあり方・体制に対して許すか、許さないかという問題です。
  歴史を振り返ると日本の歴史上、常にこの安保との闘争がありました。
  安保闘争というのは結論から言って、日米同盟=安保を基盤として成り立ってきた日本そのものを変革するか否かという問題です。労働者階級全体が変革を要求した時に必ず一大政治闘争として爆発してきました。同時に安保との闘いはここにヒビッた勢力と常に闘う労働者・学生が激突してた過程でもあります。
 
  簡単に歴史を振り返りたいと思います。
  60年安保闘争で安保の改定か破棄かを巡って580万人の労働者・学生が決起しました。
  59年11月27日に6000人の全学連が共産党は国会議員を先頭にした機動隊と一体の制動をぶっ飛ばして国会に突入しています。この闘いを突破口に11万人が国会前をデモ、さらに1500人が国会に突入、機動隊との激突で東大生が殺されています。岸内閣を打倒したものの安保闘争は社会党・共産党によって議会政治の問題に捻じ曲げられ新安保条約は自動承認されています。このような状況中で共産党とは何なのか、ということが全大衆に対して暴かれました。
  70年安保闘争はベトナム反戦闘争を軸に爆発しました。
  沖縄の米軍基地から実際にB-52が飛び立ちベトナムの人々を大虐殺し、枯葉剤を撒き散らした。全国の労働者・学生は沖縄こそ安保の最大実態としてはっきりさせ、「沖縄奪還、安保粉砕、日帝打倒」の掛け声で今までに無い数千万人規模の大闘争を作り上げました。警察発表でデモ参加人数が延べ1873万8000人、逮捕者数2万6373人という60年の闘争の全てを上回りました。
  70年安保闘争は安保闘争=沖縄闘争という位置づけを全社会的にはっきりさせました。同時に今までこのような大衆的な爆発を抑え込む側として登場してきた社会党体制内指導部や共産党のあり方そのものを乗り越える現実性を示した闘いとして勝ち取られたことが重要です。沖縄では全軍労を先頭にゼネストが計画され、体制側の指導部がそれを頓挫させられています。しかし、それを乗り越えて全軍労牧港支部青年部を中心にストに立ち上がる青年労働者が大勢いました。
  この闘いの過程で71年11・14渋谷暴動を先頭で闘った星野文昭さんを警察官死亡事件の濡れ衣を着せて逮捕し、今に至るまで獄中に閉じ込めていることに本当に怒りを持っています。
  では、この歴史的な闘いを通して私達が掴み取ってきた内容とは何なのか。010年安保闘争とは何なのかということです。
  私達が歴史的な闘争から掴み取ってきた闘いの確信は労働運動と学生運動が先頭にたった時に社会全体を揺るがすということです。同時にそれは闘わず経営側と一緒になって労働者の首を切る腐った労働組合幹部や学生の決起を抑え込もうとする勢力を乗り越え、ぶっ倒して闘い取られるということです。
 
  今、民主党に屈服した体制内勢力が安保反対の闘いを「県外・国外運動」へと貶めようとしています。
  この情勢の中で沖縄では4月25日に県民大会が計画されています。それに併せてこちらもビラを巻く、4月28日には東京・全国で沖縄デー集会をやる。そして、5・15があるということです。
  いま問われているのは真っ向から「安保を容認するか否か」の問題です。何か「辺野古だけ基地建設を阻止できれば良い」と考えて辺野古おじぃ、おばぁ・結集した労働者、学生は闘ってきたのか! 14年間基地建設を阻止してきたのかっていう話しですよ。
  それは絶対に違う!!
 
  安保粉砕闘争、1047名解雇撤回の闘いを潰すことを突破口に全国で改憲の道を切り開くのが政府の狙いです。ここを断じて許してはいけないということです。
  010年安保闘争は全ての勢力が「安保を前提」とし「1047名解雇撤回」を投げ捨てようとする中で私達が「国鉄闘争・法大闘争で学生運動・労働運動を甦らせ、安保粉砕し、社会を変える」つまり革命をやろうと。ここを鮮明に打ち出しての闘いだと訴えます。

5月5日(水)

たみとや:帰ってきた”たみとや新聞”、Kunikoコンサート

★なぜ北部合同労組「うるまユニオン」を作ったか(東北講演B)

少し古いがおまけ動画”ドキュメント'07 「ジュゴンとウミガメと米軍海兵隊」日本テレビ 2007年4月1日(日)放映”

DJーMくんとTakao

Kunikoコンサート

「たみとや新聞」作成

箱庭作成

5月8日「寄り合い」用”辛くないカレー”試作

     

帰ってきた”たみとや新聞”by Nanaka

Kunikoコンサート(詳細は”演奏団体Freude”ホームページ:ここをクリック

PHOTO BY Tomishoya

★なぜ北部合同労組「うるまユニオン」を作ったか(東北講演B)

うるまユニオンブログから転載

少し古いが動画”ドキュメント'07 「ジュゴンとウミガメと米軍海兵隊」日本テレビ 2007年4月1日(日)放映”ここをクリック!

  これは結論から言えば「労働者こそ基地建設を阻止する主体だ」と考えたからです。そして、闘わない既成の労働組合と労働運動を乗り越える労働運動が新基地建設を阻止する名護の労働者に絶対に必要だと考えたからです。
  うるまユニオンを結成したのは07年12月ですから、命を守る会事務局解雇の前になります。
  その時の僕は「代表が亡くなった"命を守る会"に何としても青年を獲得し、復権出来なければ辺野古闘争は潰れる」と考えていました。
  その頃、命を守る会でおじぃやおばぁ達と僕が会合を持ち、時代情勢や闘う路線について議論していました。その中でおばぁ達は「若いのが闘わないとどうにもならん」と激しく訴えていました。青年労働者が辺野古闘争に立ち上がるここをどうすれば良いのか。僕は必死に悩みました。
  命を守る会の代表であった金城祐治さんはバス労働組合の出身者で、根っからの労働者であり、その気骨の強さと愚直さは青年から年寄りまで多くの人から愛される人格者でした。
  辺野古闘争の微妙な政治バランスを1人の人格が持たせていたに等しかった。ですから、彼が亡くなったということは辺野古闘争にはとてつもなく大きかった。この事態を僕はどう突破すべきかを悩んでいました。
  そして、もう一点は大恐慌へと一気に雪崩を打ったように転がり始めた激動の時代を前に辺野古闘争を担った青年は何を持って闘うべきかをはっきりさせなければなりませんでした。展望が無ければ辺野古闘争で闘い抜いて来た青年労働者は潰されると考えたのです。
  ここを相当苦闘しました。
  辺野古闘争に辺野古や地域の青年が中々参加しない。近くに名桜大学があるけど学生が参加したのは片手で数えられる程度だった。リーフ上案が白紙撤回され、闘いが勝利しても釈然としないというのが僕の中にはありました。
  それで実際に辺野古の青年労働者に話しを聞いてみたりしました。話しかけてみて辺野古の青年達が最初に言って来たのは「大体反対運動なんて出来るのは公務員だからじゃないのか」っていうこと。それは違うと言い返しました。すると、「仕事で反対運動どころじゃない」「反対したら仕事に就けなくなる」「反対運動はそこまで責任持ってくれるのか」と言った意見が続出しました。僕が「労組を作ったら変わるのでは」と言うと「労働組合は今までもあったし、入ったこともあるが何も変わらなかった」と言われ言い返せないという感じでした。
  それから勉強しました。中野さんの「俺は鉄路に生きる1〜3」「甦る労働組合」を読ませていただき、労働組合と政治闘争の関わりなんかも実践的にはたくさん辺野古で出会ったということはありますが、理論的にはそこで勉強しました。その中で動労千葉の今までと現在の闘いに触れ、動労千葉のように闘う労働組合が名護にも必要だと確信しました。
 
  そして、07年9・29の12万人決起は労組を作ろうか考えていた時期に決定的な展望を見せ付けました。
  07年9・29県民大会は作る会教科書を先頭に学校の教科書に「沖縄戦の集団死は軍名でなかった」とする記述、考え方を政府主導で行ったことで爆発した大会です。
  沖縄戦時、チビチリガマなど多くのガマ(洞窟)の中で「生きて辱めを受けるな」とする軍部の命令によって多くの労働者、女性、子供達が互いに殺し合い、集団死に致りました。
  この教訓から戦後、教職員組合・教労を中心に「集団死は軍名であった」ことを公教育にする闘いが全国的に爆発し、全ての教科書に沖縄戦の事実が記載されました。これを歪曲することは沖縄戦そのものを美化し、戦争を良しとするものでしかない。沖縄の戦後の全ての反戦闘争を否定するものです。絶対に許されない。だからこそ、12万人・県民の1割が決起しました。
  でも実はあの12万人は誰も予想もしていなかったのです。僕らは「10万人決起を」と訴えていましたが、既成政党は「議会で教科書問題を変えよう」という自分本位な訴えが沖縄中を席巻していて、本質的に訴える内容が街頭からは中々聞こえてこなかったのです。新聞でも「5万がやっと」と言った内容が載せられていました。
  では、この12万人を誰が作ったのか。そこが重要です。
  それは教労を中心とした労組に組織された労働者です。
  先生達は教育委員会の制動を乗りえて授業で9・29県民大会の意義を生徒に訴え、生徒達と共にPTA、青年会や老人会をガンガン組織しました。そして、12万人を会場へと運んだのは自治体の労働者がバスを動かし、バス労働者が乗車券を無料にする闘いを行って送り届けたのです。
  12万人総決起は僕に労働者が団結した時の無限の力の可能性を教えました。
 
  もう一つは沖縄「全軍労」の闘いです。沖縄の闘いは全軍労を抜きに歴史を語ることが出来ません。
  全軍労というのは知っている方もいらっしゃると思いますが、沖縄が復帰前に組織していた基地労働者の労働組合で非常に戦闘的でした。
  ベトナム反戦闘争時代に基地労働者が基地をストで一時占拠するという事態まで全軍労はやっている。
  60年〜70年当時の全軍労・牧港支部青年部の「死すべきは基地、労働者は死んではならない」というスローガンには非常にショックを覚えました。
  今の時代でいうなれば「死すべきは資本主義、労働者は生きて次の社会を作ろう」ということです。いま僕達に必要なスローガンは「これだ」と思ったわけです。
  辺野古で出会ったベトナム人の80を超えるおじぃが「俺は沖縄が恐い。B-52も枯葉剤も沖縄から来たから恐いし、許せない。だけどあの時B-52が飛ばない日があった。あの日の"zengunrou"のストの日だ」と話していたのを覚えています。
  それでこういう闘いをやった人達が今も沖縄にはいて、まだ働いている人もいる。先程の全軍労時代を「反戦派労働者」として闘ってきた仲間から話を聞きました。
  基地撤去の問題に対して「基地撤去は何か別に雇用の場を確保してそこに労働者を移動すれば出来るというものじゃない。たとえ基地外に雇用の場を作ったとしてそれは基地の仕事を外注化したに過ぎない。基地撤去をする主体は基地労働者だ。基地の内部を誰よりも知っている基地労働者だからこそ、基地を実力で撤去し、基地のなくなった後に自分達の職場を創造出来る。その闘いを低めては絶対に基地撤去は出来ない」と話していました。
  その後07年末に二波のストを新たな全駐労の指導部となる青年労働者と組織しました。
これがウルマユニオンを結成しようと僕に腹をくくらせたといっても良いです。非常にでかかった。
 
  そして、最後の一つはやはり日比谷11月労働者集会です。
  11月集会は労働者が一つの路線、時代認識の下で団結した時に無限の力を発揮することを肌で感じさせました。
  9・29は無限の可能性を示しましたが、それを具体化した闘いは11月集会意外ありません。
  12万人を決起させた9・29であっても体制内指導部が労働者の怒りを闘う路線に集約するはずはなく、教労の労働者の地を這いずるような地道の闘いを「議会政治」の闘いだけに貶め、歪曲してきました。
  動労千葉や11月派と言われる闘う労組は指導部が鮮明に闘う方針を労働者に訴えてきました。「国鉄闘争・四大産別を軸に新基地建設を阻止し、革命やろう」ってどんなに鮮明なんだって話しじゃないですか。これが出来るのは動労千葉の実践に裏打ちされた闘いがあるからです。
  皆さん、もし、11月集会派が沖縄県民大会の主催者だったらどうです。革命が起こっちゃいますよ。12万人を組織して基地に突入して、全ての基地を撤去してやりますよ。そういう話しです。だから、僕はその主催者なろうと。主催者になれる実践と路線を持った労組を沖縄に作ろうと思ったわけです。
  それで沖縄・北部合同労組"うるまユニオン"は結成されました。

ページトップへ

2010年4月(8)へ2010年5月(2)へ

日誌目次へ戻る

2010年 日誌

提携店東京北部ユニオン「街」分会(オープンスペース街)のホームページは上↑をクリックしてください!

姉妹店とみしょうや、うるまユニオン、目黒ピースアクションのホームページは下↓をクリックしてください!

inserted by FC2 system