沖縄の怒り爆発:うるまユニオンブログから
鳩山が現れるところに次々に沖縄の怒りが叩きつけられた。
県庁に600人、名護市民会館に300人が結集しました。鳩山と市民との対話集会も人数制限などを行ったにも関わらず、民主党支持者からも怒号の嵐でした。
鳩山は「謝罪行脚」と書かれている通り、沖縄の怒りを前にグラグラになっています。いま、沖縄の誰に聞いても「民主党・鳩山は打倒だよな」と答えるでしょう。それほど職場・学園・街頭から怒りの声が響き渡っています。
看板は「移設ではなく撤去を」と訴えられています。
16歳から辺野古新基地建設阻止闘争に参加。辺野古闘争の流れ。(東北講演A)
僕は東京出身で、25歳までの人生の中では沖縄が一番長くなっています。
沖縄のおじぃ、おばぁ達から学び、政府による卑劣な攻撃やそれを巡る名護・沖縄・全国を貫く闘いを知りました。
95年に少女暴行事件に対する基地撤去を訴える怒りの10万人決起が有り、その動きを封じる為のSACO合意によって辺野古移設決定がありました。
辺野古のおじぃ、おばぁ達が闘いに立ち上がったのは1996年。97年に名護市民投票が闘われ、名護市民は「反対」が勝利するという画期的な闘いをやりとげます。辺野古総体の闘いは足掛け14年になりました。
僕が関わったのが2000年の沖縄サミットが行われた後でした。
サミットを巡る分岐が激しくあった時代です。
「基地建設を推進する為、分断を持ち込むためのサミットを認めるのか、認めないのか」を巡って既成政党、連合、体制内労組指導部がサミットを認め、それに反発する闘う労組といった形でした。
僕は何も知りませんでしたが、ジュゴンの保護をやっている人達に誘われ、色々と手伝うようになっていきました。それから間もなく辺野古に行き、おじぃ、おばぁに出会い共に闘うようになりました。
その頃の辺野古闘争に青年・若者の顔はほとんど無く、本当に僕1人がポツンといると言った感じでした。おじぃやおばぁには本当に良くして頂いてまるで孫のように扱ってくれました。その頃知り合ったおばぁも何人かはすでに亡くなっています。
辺野古闘争は97年の市民投票以来、自民党政府は「アメとムチ政策」で労働者を分断することで基地建設を推進しようとしてきました。しかし、14年間にわたる辺野古闘争と大恐慌によって「アメとムチ政策」は破綻しました。
「アメとムチ政策」とは振興策と言って、思いやり予算=国防予算で「基地の見返りに雇用創出する」「ドクターヘリを飛ばす」「大学を運営する」と言うものです。これは職場や学園に「振興策で食っていける」という分断を持ち込むことで労組や学生の団結を破壊し、基地建設反対の闘いを押さえ込む為に行われました。しかし、雇用創出された職場は月の賃金が手取り10万ぐらい、労働条件が最悪なのは名護中の労働者が知っています。
名護の第三セクターとして建設された「名桜大学」ではサークル活動に大学側は全く出資せず活動がほとんど出来ない状態です。ビラや立て看板は大学側を通さなければ出せない。そういう形で政治的な活動は著しく制限されています。何度か学生向けチラシを配布しようとしましたがガードマンが出てきて静止されました。
学生寮が無い状態で普通にアパート暮らししているわけですが、学生はみんな週5で働いても生活が出来ない状況に追い込まれています。
卒業後の就職率8割と豪語していますが、実態はパート、アルバイトが6割、7割と言われています。
この政策が一定の成果を挙げたと考えた自民党政府は基地建設への道を一気に切り開く為に2003年から準備し、2004年に基地建設工事を実際に強行してきます。しかし、これはくすぶっていた沖縄総体の怒りの引き金を引くこととなりました。
2005年から開始された海での本格的な工事を阻止する実力闘争の攻防でも全国規模の結集が開始されました。たったの1年で座込者数1万6千人、海上行動者数6千人というすさまじい数を弾き出しています。そして、辺野古闘争における第一期実力闘争はリーフ上案白紙という反対派の歴史的な完全勝利となりました。僕はこの時の海上行動の船長の1人として命がけの闘争をやっていました。
その後、05年〜07年過程で文化財保護調査(1人逮捕)、環境アセス調査と言った基地建設に向けた強行的な作業が続けられていきます。その頃に作業を実力で阻止しようという部分と実力闘争は弾圧に繋がる為やめようという動きが衝突し始めました。その中で僕は07年12月に北部合同労組「うるまユニオン」を結成しています。
辺野古闘争の指導部と言える部分が全て「無意味な弾圧を呼び込む実力闘争はナンセンス」「政治的に解決すべき(→民主党が勝利すれば基地建設は白紙になる)」という方向に全体を組織しようという動きが強くなっていきます。
同時に「実力で阻止すべき」と訴えた僕や青年、学生に対しては警察によるでっち上げ逮捕が開始されます。
僕自身も08年6・29「洞爺湖サミット粉砕全国労働者総決起集会(動労千葉主催)」のデモ行進で不当にも逮捕され、20日間の拘留を受けました。
このことを契機に辺野古の体制内指導部と命を守る会の一部指導部が「富田 晋排除」を声高に叫び始めました。「基地建設は労働者の団結した力で実力阻止をすべきだ」と先頭で主張していた僕を彼らは前々から排除しようと狙っていました。
弾圧を跳ね返して闘い、帰ってきた辺野古の現場で待っていたのは辺野古体制内指導部による「なぜ逮捕されたか」「なぜ迷惑をかけたか」「謝罪が無い」など国家権力と同じ査問会という名の取調べでした。指導部は僕が逮捕されていた間何をしていたのか。おばぁ達を食事会に誘っては僕の悪口を吹聴し、徹底的に団結を破壊することに努めたのです。おばぁ達を事務所に集め、その場ででっち上げの総会を開き、執行部が僕をつるし上げにするという茶番までやりました。
それでも体制内指導部の圧力をはねかえし続けた結果、「8月のヒロシマ集会に行けば命を守る会事務局を解雇する」という通告をうけました。そして、8月ヒロシマ集会に参加した直後に命を守る会の執行部は「逮捕による命を守る会への社会的影響は計り知れない、迷惑をかけたことについて反省・謝罪がない」「セクト・過激派と関わるなと言ったのに関わった」「会の方針、役員の指示に従わなかった」「このまま晋をおいておけば会自体が過激派だと思われ、権力弾圧を誘発する・仲間が減る」との主旨を持って9月23日に僕を解雇しました。
辺野古闘争排除で僕を潰そうとしたことの意味は僕を潰すことを通して戦闘的に立ち上がった全国の青年労働者・学生を同時に叩き潰すために行われたということです。辺野古体制内指導部が辺野古闘争に結集した多くの青年を「民主党への請願運動」へ組織しようとしたということです。僕は何よりもここが許せない。
これは1047名解雇撤回闘争の四者四団体派の政治決着という考え方に非常に似ています。「民主党への請願運動」なんて組織しだしたら辺野古闘争と幕引きと同じなんです。
僕を「解雇」・排除した命を守る会の一部執行部は事務所の運営は一切せず、逃げました。14年間団結を守り続けてきた命を守る会は閉鎖状態に陥っています。敵に仲間を売り渡したらどうなるか。闘いは幕を引かざるを得ない程までに団結を破壊される。
1047名闘争への政府が出した和解案は再雇用ゼロ回答、年金ゼロ回答、国鉄分割民営化を認めると言った露骨な幕引きの要求です。おんなじじゃないですか。
何のために歯を食いしばって23年間解雇撤回で闘ってきたのか、何の為に杖をついてまで座り込みを続けてきたのか。こんな幕引きの為じゃない。冗談じゃない。
しかし、ここで1人でも踏ん張って退かなければ闘いは残る。何で辺野古闘争や1047名闘争が労働者の圧倒的な支持を得てきたのか。それは「絶対に反対」だからです。絶対に反対する人間がいれば闘いはたくさんの仲間を作り出してもう一度反撃に打って出ることが出来ます。
僕は屈しませんでした。僕は退かない。名護の労働者もこのまま辺野古闘争を体制内指導部によって幕を引かせたりは絶対にしない。この確信が辺野古闘争を三里塚のように「絶対反対」を貫く不屈の闘争へと甦らせるのです。
今はそう思っていてすっきりしていますが、正直に言えば解雇後、僕は半年以上も病人のように悩み続けました。なぜおばぁ達は一緒に闘ってくれなかったか、なぜ多くの仲間が裏切ったのか。本当に悩みました。
亡くなった中野顧問は「自分は決定的な一人だが、もう1人の自分を作れなければ闘いは負ける」と言っていましたが、まさにその問題に突き当たっていたのです。
それから名護の労組の仲間達、全国の仲間達と毎日激論を繰り返し、僕が直面している課題が全国の2000万人の青年労働者が直面している課題だと知りました。僕自身の課題が全労働者の課題なら僕が社会を変える決定的な一人なんだと気づきました。そして、労働者となりました。
僕を巡る解雇問題を通して怒り、共に立ち上がる青年労働者・学生が沖縄で全国に大勢いました。その一方で今まで海上行動を共に担った仲間が立場をはっきり出来ずに辺野古の体制内指導部にくっついていくということが起こりました。
この違いは何か。共に立ち上がった仲間達は職場で学園で日々、闘いを抑え込もうとする体制内と闘い、苦闘してきました。だからこそ、僕に対してかけられた攻撃を我が物として立ち上がったのです。
辺野古体制内指導部は皮肉にも僕の首を切ったことで全国の労働者・学生の仲間達に沖縄の闘いの担い手として火をつけたのです。
この闘いを通して本物の団結を作ったとも言えると思っています。分岐は恐れるものでは全くありません。
いまあらゆる勢力が民主党に屈服している以上私達は曖昧なものをおかしいと言い、労働者の側に立って戦争を阻止する闘いを作り上げるべきです。国鉄闘争だって全くそうではないですか。
その後、現在に至るまでこの解雇に対して闘い、辺野古新基地建設は労働者と大衆との団結の力で実力で阻止すべきだと訴え、職場で団結を作り出す為に悪戦苦闘し、現在に至っています。