たみとや日誌

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10月15日(金)
百万人署名運動・南部連絡会:「死んどるヒマはないー益永スミコ86歳」上映会(動画付き)

「労働運動との出会いにより〈天皇教〉から平和運動へ――戦時中に生まれ、助産師として働き子どもを生み育ててきた“まじめ”な一日本人女性が、なぜ死刑囚の養母となり、街の辻々で平和と人権、民主主義を一人訴えるようになったのか。

スゴイ!。。。しばらく、そのエネルギーに感嘆。。。

どうして?

労働運動。

助産師をしていた大分から、ご主人の仕事の都合もあり愛知へ。狩谷豊田病院勤務。当時のベトナム反戦運動のチラシを見て、女性会議なるものに参加。発言を求められ、反戦への関心とともに、職場のひどい状況を話したら、しばらくして、愛知労組評議会の人に呼ばれ、「組合つくらないか」。組合ってよくわからなかったが、看護で奉仕を教えられ、そのようにしようと思っても、職場がそれを許さない、さらに、看護師は準看護師に置き換えられ、準看護師は助手に置き換えられ、と、どんどん経営側は労働条件を悪くする。言わねばならないと思った。

それから、3カ月、病院に泊まり込んで、1971年、結果として、まず、女性だけの組合を立ち上げた。経営側は、夜中に病人を移して病棟を閉鎖しようとしたりするので、泊まり込まざるを得なかった。67人の仲間は、一人が仲良しの一人に話していく、その一人がさらに一人に話していくというかたちで広げていった。ある日、「待合室を貸して下さい」と言って、そこで、67人が集まって組合結成の集会。経営側は事務所で「えー!」と総立ち。

「私は戦前、天皇の赤子として殺すことばかり教えられた。私が人の命を考え、自由な生き方・人間の本当の生き方を学んだのは、労働組合だった」

どうして元気なのか?

「従わないから」「従わないのは簡単じゃないけど、勉強もせにゃならんし。でも、楽しい」

現場とその仲間との経験が次のエネルギー。

女医のイー感じの娘さんいわく「料理しないし、お金には全く無頓着。私が稼いでもカンパにどんどんあげちゃう。でも、しょうがないですよね。いろいろやってるときが楽しそうだし」

comments by rintaro-shobo

 

10月14日(木)
11月7日全国労働者集会 日比谷に行こう!(タブロイド版チラシ)

タブロイド版チラシ↓をクリック!

★関西生コン・ゼネスト3カ月:ゼネコンの買い叩きに産別労組が怒りの決起

参加予定の海外の労働組合/団体

デモ用ブブゼラ

風邪には「ほうとう味噌煮込みうどん」

10月11日(月)〜13日(水)

三里塚特派員PHOTO

たみとや:火曜日も営業 by とみしょうや

10月10日三里塚全国総決起集会 Photo by Anna

三里塚帰りの靴

たみとや:火曜日も営業 by とみしょうや

とみしょうやが火曜日と日曜日担当になって、定休日だった火曜日も営業。火曜日の看板はりんたろうに代わり、看板娘AYO。

11月集会チケットお買い上げ

ブブゼラ到着 11月集会行くよ

10月11日:久々豚しゃぶ

10月12日:ひもの定食

10月13日:鶏の水炊

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