8月22日(土) |
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韓国:双龍自動車支部ハンサンギュン支部長獄中書簡 殺人的な整理解雇に対し工場占拠ストで現場を死守した双龍自動車の労働者たち。8月6日、労使大妥協を実現し77日間のストを解除した。しかし会社側は交渉合意の内容を履行せず、労組を抹殺することに血眼になっている。 スト闘争直後、双龍自動車支部の幹部と組合員67名が拘束され、捜査当局は引き続き組合員を呼び出し、調査を行っている状況だ。今も続いている双龍自動車闘争を獄中から見守っている双龍自動車支部のハンサンギュン支部長の書簡全文を掲載する。 ハン支部長は、ともに闘った組合員と双龍自動車の家族全員に無念さを表明し、ふたたび団結することを注文している。(民主労総機関紙「労働と世界」2009年8月20日付:編集部) 黙々と現場を守り、言われるままにひたすら懸命に働いてきた組合員たち…。 そもそもの間違いは、海外売却を誤って推進した政府にあります。また、上海自動車は産業銀行と結んだ特別協定を破棄し、双龍自動車の独自開発能力を無差別に強奪しました。そしてこの国の政府と国民に語った1兆2千億ウォンの投資約束を守りませんでした。 4年間、新車ひとつなく生存してきた双龍自動車!上海自動車は、食い逃げ資本の卑劣なやり方をそのまま踏襲し、双龍自動車の労働者と国民をたぶらかし、みずから法定管理を申請したあと、去ってしまいました。 われわれ双龍自動車支部は、会社が厳しいことをよくわかっていました。だから危機をともに克服しようと、ともに生きようと叫びました。さらに、代案を提示し、国民と政府にも訴えました。 会社側は、根拠もなく、理屈にも合わないサムスンKPMGとサミル会計法人の双龍自動車再建策を、唯一の解決策であるかのように押しつけるだけでした。おそらく彼らが整理解雇以上の他の代案すら提示せず、われわれの提案を無視したのは、はじめから売却だけを念頭に置いていたからでしょう。 彼らは、賃金労働者にとって命のような雇用を、差し出せと言いました。2646名にとっては、むしろ死ねということに他なりませんでした。だから全組合員が全面ストを決意し、死を覚悟した闘いを開始しました。 会社側は希望退職を強要し、生き残った者に、スト隊列から離脱するようそそのかしました。それでも最後の名簿が発送されるまでは、一緒に生きようと決意した同志たちでした。 結局、整理解雇名簿は、黙々と働いてきた労働者を、弱い労働者と、死ぬ気で闘うという決意を引き継ぐ戦士たちとに分断してしまいました。400から600、800,1300へと増えていったスト隊列は、患者の離脱、懐柔脅迫、放棄、恐れ、連行などによって減り続けました。 しかし、決死抗戦を決意した決死隊の組合員たちは、指導部の信念を確認するまで、いかなる襲撃があろうとも現場を死守し、整理解雇を撤回させると何度も誓い合いました。自らストの道具を作り、戦術を編みだし、一日2〜3時間の睡眠と、数十回に及ぶ強烈な催涙液の乱射などの弾圧に耐え抜きました。 支部長である私自身も、解雇は殺人だと怒った我が組合員たちが、こんなにも闘えるなど想像もできませんでした。最後まで工場を死守しぬいた同志たちは、闘士ではなく英雄でした。77闘争の戦士でした。 公権力の殺人的な鎮圧作戦、野蛮で非人道的な副食、電気、水道、ガス、医療の遮断によって限界点はありました。最後まで抗戦できなかった責任は痛感します。生きようと始めた闘いが、鎮圧作戦にともなう事故により惨事に結びつくことを望みませんでした。生産施設が全焼することを望みませんでした。だから大妥協という選択をしました。 今も夢遊病患者のように、寝たと思ったらガバッと起きることが続いています。ヘリコプターの音、戦闘警察らの怒号、会社側の宣撫放送が耳元から消えません。若い身で先に天の国へと逝った6名の魂が脳裏から、胸の中から消えません。 「支部長、動揺しないでください。組合員を信じてください」という同志たちの絶叫が離れません。 病床で呻吟している同志たちよ! 拘束され、絶望し、嘆いている同志たちよ! 生き残っても労働者の言語を発せられず、胸をいためはじめた同志たちよ! 管理者による参加強要とチェックにより、やむなく救社隊に参加したものの、胸中いまだ労働者の血がたぎっている同志たちよ!希望退職によって現場を離れたものの、絶望的な選択だったことを早くも確認し、辛い思いをしているであろう同志たちよ! 全てが、この国で生きてゆくすべての労働者の痛みでもあります。 うまくいっているときは卓越した経営能力のおかげだと言い、危機が近づけば全責任を労働者がかぶらなければならない世の中! 壮絶な双龍自動車77闘争を終え、いまもわれわれすべての労働者に与えられた宿題は、まさに団結、また団結の道だけです。 団結しようという私の訴えが、空虚な叫びでないことを願います。双龍自動車支部長のささやかな願いでこの要求を提出します。
この間、ともに闘ってくださった南の地のすべての労働者に熱い同志愛を伝え、連帯の精神で今後も常にともにあるという誓いと約束を、双龍自動車全労働者の名でささげます。 |
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共謀罪廃案獲得をテコに、戦争・治安管理国家に大きな風穴をあけよう!1 共謀罪永久廃案への道を切り開こう 「三度目の廃案」を実力で勝ち取ったぞ! 03年国会上程直後の国際的組織犯罪条約締結承認(社民党のみ反対)と自・公民主の修正協議、05年9月郵政総選挙=自・公絶対多数による危機と日弁連の動揺、そして06年春の法務省・与党による強行採決突進や民主党案丸呑み詐欺を打ち砕いた国会内・外の闘いの高揚、さらに安倍首相「テロ等謀議罪」構想や鳩山法相「サミット前成立」指示をはね返した執拗な反対運動持続など、6年半・15国会に及ぶ稀有な治安法攻防の成果である。 長期にわたる執拗かつ激しい攻防を闘いぬき、大衆運動の力で勝利を勝ちとった意義は大きい。 2 自公政権崩壊─政治・経済危機の中で強まる戦争・治安管理国家化との全面対決へ 歴史的転換期、反治安法戦線構築が急務 21世紀に入って以降、戦争・治安管理国家化が急激に進み、生きる自由・闘う自由は大きく制約・圧殺されてきている。 「新たな戦前への曲がり角」とされた99年攻防以降、入管法改悪・医療観察法・少年法改悪・裁判員法・司法破壊など、戦争・治安法制定ラッシュが続き、至るところで矛盾が噴出している。既に現場では、組対法弾圧、共謀罪先取り的な弾圧や暴力団対策法改悪策動、あるいはおとり捜査などがエスカレートしている。『犯罪に強い社会を実現するための行動計画2008』も組対法「活用」を謳い、盗聴法拡大を叫んでいる。 反対運動によって共謀罪法案成立のメドが立たない中で、警察・検察が現場で既成事実化を図り突破口を開く攻撃であり、この戦争と弾圧のエスカレーションを何としても共同の力で阻止する必要がある。 |
8月21日(金) |
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日本の潜在的失業率は14%! |
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日本の潜在的失業率は14%! 『平成21年度財政経済白書』の第1章第3節の3「リスク要因」によれば、企業内の潜在的な失業者は経済全体で528〜607万人に達する。製造業では328〜369万人である。白書はこれを「雇用保蔵」と呼んでいる。 過去の雇用保蔵の推移を見ると、製造業については1993年頃に300万人弱でピークとなっており、全産業では、95年と99年頃に300〜400万人でピークとなっている。こうした数字と比べても、最近の雇用保蔵が異常に高いことがわかる(【下図:雇用保蔵の推計】参照)。 現在、雇用調整助成金の需給申請者数は、240万人程度となっている。これは、企業が実際に過剰と認定し、休職扱いにしている労働者数だ。白書の推計は、その2.5倍程度の労働者が企業内で過剰になっていることを示しているのである。 全産業の雇用保蔵607万人は、労働力人口(6689万人)の9%程度に相当する。したがって、これらの労働者が実際に失業すれば、日本の失業率は14%程度という未曾有の水準になるわけだ。 |
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法政大「ノンポリ学生」の警察と検察による被害の記録ここをクリック! 避難所@法大生:法政大学はひどいのだということを知らしめるブログから一部抜粋転載以前文化連盟三役と親しく交流していた現役の学生です。初めに自己紹介しておくと、私はいわゆる左翼ではなく、一昔前の言葉で表すなら「ノンポリ学生」といった感じの人間です。 忘れもしない、2006年3月14日の衝撃的な事件を境に、私の周囲で法政大学の在り方を疑問視する見方が強まり始めたのですが、当時中核派でない学生はデモや演説といった直接行動ではなく、文章によって問題意識を広めるという方法を取っていました。 2007年に世論研究会が機関紙の没収、学則処分を受けて以降、恩田などは直接行動へと方向転換を計っていったわけですが、こうした弱火に油を注いで事を大きくするような大学のやり方は、私から見ると無用な焚き付けに映ります。 私はどこに所属するでもなく、あっちへフラフラこっちへフラフラといった大学生活を過ごしてきました。 2009年5月18日午後1時半、公安警察三名に法政大学前で取り囲まれるまでは。 5月18日午後1時半、コンビニに行こうと大学正門を出た私に背後から公安警察三名が走り寄って来て前後を取り囲まれました。「ちょっと話が聞きたいから、車に乗って」という公安に対し、私は「弁護士同伴でないと嫌です」という趣旨の回答をしたのですが、「それはいいから、早く乗って」と公安に急かされ、逃げられそうにないと判断し車に乗ってしまいました。 今から思えばこれは任意であったのだから拒否する事は可能だったわけですが、突然逮捕権を持つ公安に取り囲まれた中での理性的な判断はほぼ不可能でした。 14時から始まった取調べが17時に差し掛かり、「講義に出たいので終わりにしてくれ」と私が言った直後、検事は公安を二名連れてきて「君が非協力的だから警察に引き渡す事にした。後は知らん」というような趣旨の事を述べ、私は再び公安によって車に乗せられます。 車は行き先も告げずに発車し、車中で公安の久田警部補が驚くべき事に「君が検事に協力しないもんだから検事は怒って逮捕状を書いているぞ。今からお前の家に行って家宅捜索を行なうんだ。どうする、検事に協力するか、しないか?」といった趣旨の脅迫めいた二択を迫ってきました。 そんな筈あるものか、事情聴取を拒絶しただけで逮捕されるわけがないと思いましたが、車は既に高速道路に入り、私の家に向かっているのは間違い無いようでした。動転した私は思わず「協力する!」と叫んでしまい、車は再び検察庁に戻る事に(後述しますが、この時既に私の家は家宅捜索の対象に挙げられており、事情聴取の拒絶は無関係)。 しかし、これだけに留まりません。調書を取り終えた検事は再度警察に私を引き渡し、「警察の言う通りに物を渡せ」と言いました。警察は私の家まで私を送り、任意とは一切告げずに私に部屋の書類、パソコン、携帯電話、記録媒体の類を家から持ってこさせ、地元の交番で押収目録を作成。 ようやく解放されたのは午前5時半、正門前で車に乗せられてから実に16時間が経過していました。もはや私には何かを考える余力すら残されていません。。。。 公安警察はとても恐ろしい組織です。これまで沈黙を余儀なくされていましたが、こうした事態を黙ってやり過ごす事は受けた被害を無にする事であり、公安のやり方を黙認する事にも繋がると考え、ここに全容のあらましを記します。 |
8月20日(木) |
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今日のたみとや りんたろう亭:ミニ・トーク 追悼 : 沖縄 辺野古の小禄信子さん〜インタビュー映像 11月1日全国労働者総決起集会 |
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沖縄 辺野古(へのこ)での米軍基地建設に反対して長年座り込みを続けてきた小禄信子さんが8月18日に他界されました。90歳でした。小禄さんにインタビューさせていただいた時のお話しをもう一度聴こうと思い、二回分のインタビューをすべて聴き直しました。小禄さんは「記者さんやカメラマンの方に何度も何度も話をしたけれど、なかなかみんなに伝わっていない」とおっしゃっていました。私は、「自分には小禄さんの想いをきちんと伝える責任と義務がある」とあらためて思いました。DVD『基地はいらない、どこにも』には収録しきれなかった部分を含むロングバージョンのインタビューを編集し公開しました。残された私たちへの小禄さんのメッセージを、ぜひお聞きください。(レイバーネット日本)
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