裁判員制度はいらない!大運動呼びかけ人高山弁護士講演抜粋(全文は同弁護士Webサイト)
講演「裁判員制度を考える」 抜粋
(09.1.25 群馬県女性会館)
・一部で、こういう風に言われています。「市民が司法に参加するのは、国の主人公、主権者として望ましく好ましいことだ」。その言説は、多く「あの陪審制度と似たものだから」というイメージとともに話されている。
・裁判員制度の特徴を挙げます。覚えていただくとご家庭や職場やお友だちと話をするときに役立ちます。・20歳以上の人がプロの裁判官と一緒に行う。・重大な犯罪事件に限る。・被告人が争っているかいないかを問わない。・量刑の判断にもかかわる。・多数決で結論を出す。・裁判員就任は原則として断れない。・被告人は裁判員の参加を一切断れない。・7割は3日、9割は5日で判決になる。・複数の犯罪の嫌疑がある場合、事件ごとに別の裁判員グループが審理する。・裁判員は一審に参加するだけ。
陪審制との違い
・陪審は、被告人が無罪を主張したときしか開かれません。陪審の世界では、有罪には陪審員の全員一致が必要です。ごく一部に多数決でもよい州がありますが、単純多数決(過半数)はない。裁判員制度は陪審制とは似ても似つかぬという話、おわかりいただけたでしょうか。陪審制というのは、罪に問われた被告人を守る裁判方式です。
・「主権者の権利を尊重した裁判員制度」だとか、「裁判員になるのは素晴らしいことだ」などという言説のおかしさは、これでおわかりいただけたと思います。市民が「権力は間違ったことをするかもしれない。俺たちはそれをチェックするぞ」というのが陪審制です。市民は、権力に対して、おかしなこと、危険なことをすると不信感を持っている。だから、裁判所へも出かけていき「ちょっと待て」と言うこともする。司法の場に市民が出かけて行って、何かをしゃべったり決めたりすれば「市民参加」になるのじゃない。
導入に対する当局の説明
・東京地裁の所長をしている池田修という人がいます。裁判員制度の準備グループ「裁判員制度・刑事検討会」の委員の1人でした。この人は、成立した裁判員法の解説書に次のようなことを書いています。「裁判員制度は、現在の刑事裁判が基本的にきちんと機能しているという評価を前提としている」「職業裁判官による刑事裁判を否定的に評価する意見に立つ制度ではない」「陪審制に進む前段階ととらえることはできない」「裁判の正統性に対する国民の信頼を高めることを目的とする」。正統性というのは、正しい伝統を持っているとか、歴史があるとか、由緒正しいとかそういう意味合いの言葉です。ですから、「日本の裁判は伝統と歴史を持った正しい裁判制度であるということを勉強してもらうために裁判員制度があるのだ」という訳です。
・女優さんが新聞紙面に登場した裁判員制度のカラー全面広告。「判決や刑罰決定までの過程を体験・理解し、犯罪がどのように起こるのかを考えるきっかけを作ることで、安心して暮らせる社会に何が必要かを自分のこととして考える」。安心して暮らせる社会に何が必要か、自分の問題として考えてもらいたいという訳です。そして、最後に、「昨日までの自分とは違う自分になる」とある。どうやらみなさんの人格を改造したいらしい。これまで、あなたは世の中のことなど考えもせず、ひたすら自分の小さな幸せのことしか考えてこなかっただろう。それは自堕落な生活というものだ。裁判員になることでそれは変わる。この世の中が秩序が維持され、治安が守られた社会であるために、みなさんには、自身の責任を自覚してもらう。これであなたは真っ当な人生を歩むことになる。「昨日までの自分とは違う自分になる」というのは、つまりそういう意味でしょう。
・最高検察庁の総務部長だった人の言葉があります。「殺人事件の被告人や被害者と向き合い、被告人をどう処罰するのかを考える」。さすがは検察官です、被告人は有罪と決まっているらしい。先に進みましょう。「被告人をどう処罰するかを考える。今までは新聞やテレビで触れるだけだった国民が、直接、事件に触れ、判断をすることで、子どものしつけや教育にもいきてくるのではないか」。
・文科省が出した副読本「心のノート」には、「社会の役に立つ人間になろう」とか「社会のためになるには自分から変わっていこう」というような言葉が出てきます。なんと似通った世界だろうかと思います。教育基本法、前の前の前、いや2つ前か。安倍という首相がいた。この人が教育基本法の改正論議の中で、「国のために役立つ人間を作るのが教育基本法改正の目的だ」と言いました。参議院本会議の答弁でしたね。「国のために役立つ人間」。そういう論議も先ほどからの話に底のところで確実につながっていると私は思うのです。
現代の赤紙…強まる反発
・掟破りで、昨年12月20日、自分が候補者になったことをマスコミに公表した。「私は選ばれたけど、裁判員になるのはイヤだ」。これには、最高裁から「特定可能報道」を禁じられているテレビや新聞の方がびびってしまった。公表者のみなさんが異口同音におっしゃった言葉は「これは赤紙だ」「徴兵制のようだ」でした。突然、最高裁判所から「候補者にしたぞ」という書面が送られてくる。この中にもいらっしゃるでしょうか。350人に1人の割合なのでおられてもおかしくない。徴兵制は呼び出されて、人を殺しに戦場に行く。裁判員は呼び出されて、人を殺したり一生拘束したりするために裁判所に行く。同じようなものじゃないかというのです。
崩れ落ちる推進派
・私は昨年2月に行われた日弁連会長選挙に立候補しました。裁判員制度推進派と私の一騎打ちの勝負です。結果は、私は勝利しなかったのだけれど、得票率は43%になりました。57対43という比率で敗れたということです。推進派は政府ご推薦の後ろ盾候補、私は草の根の弁護士の代表。その対決でこの数字です。日弁連は実質会論二分、会論真二つといってよい。
しかも真二つというのは、賛成、反対の真二つじゃない。「もう法律ができてるんだから。やりながら直していくしかないんじゃないか」という57%と、「法律ができようとも準備が進んでいようとも絶対反対」という43%の対決なのです。「なんて言ったって素晴らしい裁判員制度」などと言ってるのは、日本の弁護士の中に10人もいるでしょうか。「弁護士の圧倒的多数は反対か少なくとも消極」と断言していい。
日弁連会長選挙のすぐ後に、新潟県弁護士会が延期を決議した。そうしたら、5月に栃木県弁護士会が「実施するな」と。そして、つい数日前、千葉県弁護士会がやはり延期の決議。もう、日弁連はガタガタです、はっきり言って。
・最高裁も法務省も「有識者懇談会」を発足させるという。制度が始まる前から制度の見直しを検討する有識者懇談会を始める。今から変更案を議論するって、おかしいですね。今までは、無識者で方針を決めてきたから(笑)、これから有識者の懇談会を始めて、考え直そうということなのか。それならばこれまでの無識を詫びるべきですね。いやがる国民を前に、みなさんがイヤがる気持ちはわかりますというパフォーマンスなんですね、これは。
・裁判員法は、5年前の2004年には、その程度の議論もやっていない。決めたのは、5年後に実施するということと国民の理解・支持を得なければならないということ。この二つのことを裁判員法の附則に併記した。 実施までの間に国民の理解と支持を得なければなんて書いてある法律なんて、ほとんど前代未聞ですよ。
凄絶を極める裁判の実相…
・ 「強盗致傷」「殺人」「現住建造物等放火」「強姦致傷」「傷害致死」「強制わいせつ致死傷」「強盗強姦」。
この7つで裁判員対象事件の85%におよびます。裁判員が関与する事件というのはつまりこういう事件です。読むだけでもすさまじさが想像できるでしょう。万引きとか痴漢とか、そういう事件じゃない。最高裁の宣伝チラシやリーフレットをご覧下さい。「私の視点、私の感覚、私の言葉で参加します」。女優さんの嬉しそうな顔、この表情と現実の事件との途方もない乖離。 年間10万件の公判事件のうちの「極悪非道」筆頭格の3千件に関わるのです。10万件のうちの3千件と言えば、100件のうち3件、僅か3%です。嬉しそうな顔でやれるか。女優さんに恨みはないが、笑い顔の若い女優さんを見るとつくづく私は「だましの手口」を感じます。
時代と結びつけて考える
・時代は以前からおかしいが、昨年9月のリーマン・ブラザーズの破綻以来、世界は恐慌状態に突入している。トヨタが2兆円の収益から一挙に70%も落ちた。非正規雇用を削り、今度は正規雇用も潰されに入った。ワーク・シェアリングは賃下げのこと、いわば部分的解雇。そういう危険な時代に突入しました。「生きさせろ」の声がこの国を今、覆っています。 この危機を突破する最善・最良の方策は戦争です。ソマリア沖に「海賊」が出る。ここに日本の自衛隊が行くという議論が具体化している。ソマリアってどこにあるのかわからないくらい、遠い国、遠い海です。一方、「海賊」の行動は刑事犯罪です。人は殺されていないようですから、裁判員事件の対象にもならない「普通の刑事事件」になります。日本の軍隊が地の果てまでも警察活動のために出かけて行く。刑事犯罪対策に軍隊が武器を持って出しゃばっていく。どうしてこだわるのか。憲法9条をひっくり返す機会、軍隊が戦闘活動に乗り出す機会を作り出したい。軍隊が武器を持って実際に闘えるようにしようという魂胆がそこにあります。そこには、「戦争こそ危機突破の妙策」という思いがしっかり横たわっている。「自分たちの利益を守るためには、軍隊がほしい」というのは日本経済団体連合会の要人がすでに堂々と言っていることです。中国の工場で低賃金や首切りにあえぐ民衆が暴動を起こす。「暴動から工場を守るのは中国の警察ではなく、日本の軍隊だ」という訳です。戦争になっても、軍隊を派遣してでも、日本の経済を守らなければいけならない。この国は、今そういう状況に直面している。
・裁判員制度の背景にこの時代の危機がある。危機の時代にはとんでもない方向に国民を向かわせる動きが登場する。しかし、今この国には、戦争を禁じた憲法がある。それを取り除きたい。憲法9条を変えたい。交戦権を否定した憲法9条2項を変えたい。そして、そのもくろみを実現するためには、公の秩序を守り、お国を守るのは自分たちだと思う国民を増やす必要がある。
裁判員制度は、危険な時代の所産、生産物です。この時代の危険な様相は、改憲の動向に鋭く現れていますが、それをもっと具体的に言えば、裁判員制度です。憲法を考える。9条を考える。2項を考える。それは最も大事なことですが、「その時が来たら改憲阻止だ」ではない。裁判員制度は改憲そのものだという視点を私たちがしっかり持つことが、改憲を阻止する決定的な力になると考えます。
広がる反対運動
・市民が司法に参加することに私は賛成です。ただし、その「市民の司法参加」は、さっきお話しした意味においてです。「市民の人権を侵害しないように、ちょっと待て」と言うのが市民の司法参加だということは、つまり裁判員制度に反対する行動が最高の司法参加だということです。そして、この闘いを成功させたときには、この国の司法には正統性があるなどという議論が嘘っぱちであることを天下に暴露するだけでなく、そのでたらめを正し、基本的人権と真の正義をこの国の司法に実現させる歴史的な闘いが始まる。私たちは、そこに必ず新たな地平と展望を見出すでしょう。
4月21日午後6時には、東京・日比谷の野外音楽堂に、5千の市民が集まります。北海道から、沖縄から、全国からです。
・玄侑宗久さんという臨済宗のお坊さんで、桜の名所で有名な福島県の三春の福聚院というお寺の住職さんです。5年ほど前になりますか、「中陰の花」という作品で芥川賞を受賞された方ですね。玄侑さんは「人を裁かない心は、日本人の最後の美徳だ」とおっしゃる。人は人を裁かない。仮に裁くとしても基準は一つではない。悪人はお上に悪人と言われても庶民には義賊だったりする。そういう構造を持たない社会は危険だと強調されました。
その考え方は違うと言っているのが最高裁です。好ましいものの考え方は最高裁や法務省が決める。その考え方でこの世の中を仕切らせたい、そこに統一したい。裁判員制度を実施するという方針は、この時代が危ういことを踏まえて出てきた方針です。しかし、そのような思惑を拒絶する人がこの間一気に増えた。「危うい時代こそ正しい筋道を追求したい」と考え、集まり、発言し、行動する人々が増えている。